第1回目に広島市の不動院金堂を採り上げましたが、もし、西国の禅宗の代表が不動院ならば、正福寺は東国の代表のひとつと言えるすばらしい建築物だと思います。
禅宗建築の醍醐味は概観の美しさもありますが、内部の骨組みの美しさがあげられます。
その様子は言葉では表現できないほどの威厳を感じます。
私は、鎌倉の円覚寺舎利殿のファサードが好きなのですが、いまだにこの建物を拝観するチャンスに恵まれません。
ところが、古建築に造詣の深い先生から、円覚寺舎利殿の工法に近い正福寺の内部公開があるとうかがい、さっそく行って来ました。
公開されたのは、先月11月3日文化の日です。
早朝仙台を発ってJRと私鉄を乗り継ぎ10時頃には現地に着くことができました。
拝観の順番を待つ長い列に並ぶと、参道の両サイドには、みやげ屋や屋台がたくさん出ていました。
特に目を引いたのは、「だいじょうぶだあ饅頭」です。
そうそう、皆さんご存知の、ドリフターズの志村けんさんのご出身が東村山市だったので、彼の人気のキメせりふ「だいじょ~ぶだ~」が饅頭の名前になっているのです。
もちろん帰りに買ってきました。
第5回『建築と仏像のさまよい紀行』
正福寺地蔵堂(国宝)
所在地 東京都東村山市
建物概要 桁行三間・梁間三間・裳階付平屋建て入母屋杮葺き禅宗様
建立時期 1407年(応永14年)創建 室町時代
内部に入ると、正面に地蔵菩薩立像と周囲には千体地蔵が配置されていました。
お地蔵様にお参りをした後、天井を見上げると、複雑な組み物で埋め尽くされた小屋組の全周を見ることができました。
期待通りの美しさです。内部に入り込んだ尾垂木が、片持ち天秤のように持ち出され、その延長に虹梁が架けて大屋根を支えています。
扇垂木の内部側が見えるために、そのラインが屋根中心部に向い小屋組全体を引き締めています。
内観写真を撮れなかったのがとても心残りですが、私の記憶のなかにはしっかり残像として残っています。
同じ禅宗様でも、西日本と東日本では工法が違うようです。特に内部の尾垂木の先端と梁の接続方法に大きな違いがあるようですが、残念ながら禅宗建築の西日本様式の建物内部に入ったことが無いので、自分の目では確認できていません。
しかし、写真集でみた広島不動院金堂や和歌山善福院釈迦堂の内部は、確かに構造計画が違っています。
この違いはどうしてなのでしょうか。
在方集住大工があるように、その地方ごとの流儀が技術伝承の過程で変化していったのでしょうか。
不具合があって改良されていった過程なのでしょうか。
もともと禅宗建築は輸入技術なので、どのような形で輸入され、技術伝承され、後世に引き継がれたのか非常に興味深いところです。
建物の内部を観ていると、あまりの構造的な美しさに圧倒され、すでにこの時代に日本の木造建築の技術的水準は最高レベルに到達していたような気さえさせられます。
ぜひ、ご覧いただきたい作品です。
なお、正福寺地蔵堂境内は、東京都における唯一の国宝木造建築物でありながら、とっても家族的な暖かい雰囲気があります。
鎌倉円覚寺のように、山を背負った荘厳な雰囲気のなか配置される伽藍ではなく、平野のどまんなかで、それも住宅地の一角に存在している様子はとても驚きでした。
その暖かい雰囲気を醸し出す理由は、地蔵菩薩がご本尊であることが原因ではないでしょうか。とてもやさしい地蔵菩薩でした。
ご近所にとても愛されている様子は、町内会の方々によるボランティアガイドや、門前の出店などの雰囲気を見ていても伝わってきます。
外観写真を撮影してきたのでご覧ください。
屋根の稜線は、どこまでも澄み渡った青空との境界線をシャープに縁取っています。
境内に入ると、地元の子どもたちが、紙芝居のような手作りのスケッチを使って、地蔵堂 の建築様式についてクイズ形式で説明してくれました。
答えをわかりやすく解説してくれる豊富な情報を聞いていると、一生懸命勉強しているんだなあと、子どもたちの、地元の地蔵堂に対する愛情を感じながら、本来は退屈な待ち時間を、とても楽しい時間として過ごさせてもらいました。
さらに奥に進むと、女性のボランティアの方が、屋根葺きの改修工事の写真を見せながら、 杮葺きの様子を説明してくれて、貴重な改修の様子を知ることができました。
人垣も途切れ、内部の様子が見える場所まできました。
屋根を見上げると放射状に広がる扇垂木、柱の中間部には詰組、火燈窓や波型弓欄間、柱の脚部はきれいに絞込み(粽ちまき)木製礎盤の上に乗っています。
完璧です。禅宗建築の見本のような建築物です。
列の続く真っ直ぐ伸びた参道の先に山門がみえてきました。そして、人垣のはざまの先に、禅宗様の反りの強い杮葺きの屋根が見えてきました。
強い太陽光線で浮き出された茶色の屋根と、その反りの強い屋根でできた影のコントラストは、まるで中国大陸のどこかの都市に紛れ込んだような錯覚をおぼえました。