萬福寺境内の紅葉
萬福寺
何気なく訪れた寺院に驚くような仏像があった
拝殿組物 木鼻や肘木升組
第43回『建築と仏像のさまよい紀行』(山陰の旅 出雲 その2)
訪れた社寺建築
日御碕(ひのみさき)神社 出雲市
大寺(おおでら)薬師 出雲市
戸棚もオシャレ
細部の造作は機能性だけでなくデザインにもこだわる
日御碕灯台建屋
日御碕神社鳥居
日御碕神社遠景
萬福寺(大寺)四天王像(パンフレットより)
萬福寺(大寺)薬師如来とその脇侍(パンフレットより)
回転台を支える柱は意匠デザインされた鋳物
灯台の構造断面図
拝殿壁面
連続する蛙股が建物にコントラストを与えスッキリした
ファサードを見せています
拝殿と本殿を結ぶ幣殿
拝殿
楼門
この地は大陸に近く、太古には異国の船が上陸しても誰も気がつかなかったのではないでしょうか。山奥にある神社とは違う独特の神秘性を持つ場所です。
主要な建物(下の宮)は一直線に配置され、その先には大きな岩礁があります。直線に配置された伽藍から右側には、形式は一緒のひとまわり小さな建物でできた伽藍(上の宮)が配置されています。
日御碕神社は、神社の案内によると二つの神社でできていて、それが上の宮と下の宮です。
軸線からはずれて独立して鎮座する上の宮は、「神の宮(かんのみや)」と呼ばれスサノオを祀っています。これは安寧天皇が現社殿の後方にあったものを移したといわれます。安寧天皇は神武天皇から数えて三代目ですから、もはや神話の時代の話になります。
そして下の宮は「日沈宮(ひしずみのみや)」が境内の正面に鎮座します。沈という文字は、神社の案内板には「沉」という見慣れない漢字で「沈」を表記しています。なんだかそれだけで神聖な由緒を感じます。神の宮のスサノオに対し、日沈宮は、アマテラスを祀ります。これは、境内を直線に結んだ海の先にある「経島(ふみしま)」に鎮座していたものを948年に村上天皇の命で現在の場所に移したものです。
案内板を読むと、ここは、日の出に象徴される太陽神アマテラスの日没の夕日を結びつける出雲独特の視点を反映したもので、江戸時代までは「日沈宮=日が沈む聖地に祀られた宮」というイメージが根付いていたようです。そして、江戸時代後期の天保4年(1833)に記された「出雲神社巡拝記」を見ると、伊勢で日の出を、出雲で日の入りを拝むと安泰だと信じられていたことがわかります。
入り口正面の鳥居をくぐると丹塗りの楼門が現れます。楼門を入ると日沈宮の大きな拝殿に出ます。入母屋の大屋根の一番低いところに、これも大きな唐破風が正面を飾り参拝者を招き入れます。
背面に立つと、拝殿と一段高いところに本殿、そしてそれらをつなぐ幣殿といわれる渡り廊下がきれいに並びます。拝殿は大きく、あたかも最重要本殿をしっかり防御しているようです。
二つの神社は典型的な権現造りでできおり、ともに江戸初期に徳川家光の命で造営されたもので、いずれも国の重要文化財です。
本殿建物の屋根には、外削ぎ(垂直に先端を切ったもの)の千木と、3本の鰹木が棟飾りとして配置されます。また妻壁の大瓶束の下には、向かって左から星と太陽と月らしき彫刻がほどこされ、それぞれがスサノオ(須佐之男命)、アマテラス(天照大御神)、ツクヨミ(月読命)の3姉弟をあらわしているといわれます。拝殿幣殿本殿ともに外周面をたくさんの蛙股で装飾されその中には華やかな彫刻がほどこされています。
桃山文化を継承するような華やかな彫刻を、当時の職人がどのような思いで製作していたのかを想像しながら拝観するのも楽しいものですのです。
さて神社建築を観てみましょう。神の宮(上の宮)も日沈宮(下の宮)も同様の権現造りといわれる神社建築です。
とってもシックな出雲大社の大社造りを観た後に、華やかな権現造りの建物の感想は「派手ッ!」の一言です。好きか嫌いかは、あくまで主観の話ですからそんなことはどうでも良いことですが、出雲大社よりはるかに手の込んだ建物なのにおもちゃのように感じます。
繊細できらびやかな装飾と、細部まで手の込んだ構造組物の日御碕神社に比して、モノトーンで単純な構造の出雲大社は、極端な書き方をすると掘っ立て小屋を巨大化した単純な建物に過ぎないのに、それがとても神聖なものに見えてくる不思議を感じました。
さてさて古い神社スタイルとして、大社造を前回のさまよいで書きました。今回の権現造りも神社建築様式のひとつです。それでは、神社建築とはどのようなものがあるのでしょうか。初期の形式としては、前回の出雲大社で有名な大社造や、伊勢神宮の神明造、そして住吉大社で代表される住吉造が挙げられます。しかしその形式は、時代とともに形を変えていきます。たとえば、八幡造・春日造・流れ造に変化します。特に春日造は平安時代頃に発生し建物の外観はきらびやかな朱に塗られます。
神社は、初期の時点では機能の違いのため拝殿と本殿が別棟だったのですが、それらの機能の連続性を重要視し、ある時、二つの建物の間に屋根を架け一体の建物に変化します。その結果生まれたのが権現造です。
役割の違う二つの建物を一体化してしまうのは、使い勝手上は当然です。東大寺法華堂や當麻寺本堂の外観や内観にその合理性の一端が見えます。
権現造は、徳川家康の霊廟に用いられたことからその名が生まれたのですが、その形式はそれ以前から存在していたのですから建築様式の名称にはちょっと違和感があります。しかし、日沈宮を見ていると、正面の堂々としたたたずまいや、奥に控える本殿を守るように配置された巨大な拝殿の姿に、いかにも長期安定政権を支えた徳川の大胆で緻密な組織作りを感じます。だからこそ、この形式を権現造と呼ぶのがふさわしいのかもしれません。
神聖な神社を芸術品として拝観するのは、少々抵抗がありますが、きれいなものはきれいだし、他人に自分の考えを押し付けなければ、価値観は多様でよいのです。国民性や宗教観、年齢や育った環境など複雑な感情によって美意識は形成されるものだと思います。ですから、つねに「寛容」の気持ちを大切に感じたことを話し合い、多様な感性に出会い大きな刺激を受ける絶好のチャンスです。だからこそ、芸術や文化に触れ合うことができる人たちは、とっても素敵な人生を送ることができると思います。音楽や芝居、そしてスポーツなどが早く自由にライブで見る事ができることを祈ります。
日沈宮の華やかで緻密な建物と、蛙股や妻飾りの装飾を写真でご覧ください。
日御碕神社案内板
次は、出雲大社と宍道湖の中間地点にある萬福寺という寺院です。
寺伝によると、飛鳥時代推古2年(594)に大寺と呼ばれる大伽藍を持つ寺院が、萬福寺の300mほど北にあったということです。しかし、江戸初期の大洪水と山崩れで壊滅し、住民が埋まった仏像を掘り起こし現在の萬福寺に安置したとの事です。
現在萬福寺に所蔵される仏像は、確かに古式形状のすばらしい仏像です。特に四天王像は、腰ひもをぎゅっと縛り、その下に武装した下半身がどっしりと構えます。中央仏師による、奈良時代の様式を残す平安初期の作品と伝わります。そして4体の菩薩の中央には、洗練された温和な表情の薬師如来坐像がゆったりと構えます。いずれも平安前期ということですが、ここは出雲大社をはじめ古くから伝わる寺院や神社がたくさん存在する地域です。遠く離れていても奈良京都との交流があって当然だと思います。
最初に書きましたが、出雲は大陸と近い土地柄ですので民間交流もあったのではないでしょうか。国内の中央の影響は大きいでしょうが、山陰の地域性が垣間見える素敵な仏像を拝観する事ができました。
次回は、いよいよこの旅最後のパワースポット美保神社について書きます。
拝殿基礎 なだらかな亀腹が見える
日御碕神社伽藍図(現地案内板より)
萬福寺(大寺)薬師如来像
(パンフレットより)
灯台第一等レンズ
灯台回転台
美しい螺旋階段は疲れを忘れさせる
オシャレな螺旋階段は最上階まで続く
本殿の装飾
大瓶束の下に星太陽月のデザインが見える
日御碕灯台44mの塔部
日御碕神社伽藍
日御碕神社は、ほぼ海面に近い地盤面に施工されています。そこから切り立った断崖を登ると、出雲日御碕灯台があります。
日御碕灯台は、日本海の荒波から船舶を守るために明治36年(1903)に建設されました。レンズの直径が最大級の第一級レンズで、日本に5台しかないそうです。
塔の構造は二重管構造になっていて、内管がレンガで外管が石造でできています。高層ビルの中には地震対策のため二重管構造を採用している例がみられますが、レンガ積みと石積みの間にはどのような力のやり取りがあるのでしょうか。44mの超高層工作物を可能にした構造メカニズムに興味は尽きません。
もちろん構造的な興味も尽きませんが、内部の造作のいたるところにこだわりが見られます。灯台内部は、一般の人が入れるところではありませんが、ひとつひとつが美しく、機能性と意匠デザイン性が一緒になった職人の粋が感じられます。断片的な写真ですがご覧ください。
回廊 舟肘木を使ったシンプルな回廊
世の中の多くの事象に絶対や完全ということはありません。しかし、「絶対に許さない」「完全に一致しました」というフレーズを最近よく耳にするのではないでしょうか。私は、「絶対に」とか「完全に」などという言葉を多用する人を信じません。私が出会った人のなかで、そのような事を口にする人の言葉はたいがい装いで、自分の嘘や自信のなさを隠そうと体裁をつくろっている人が多いです。そしてナショナリズムをあおり、自分の考えを中心とした正義感を振りかざし正論をまくし立てます。でもその様な人は肝心なときに敵前逃亡しそうで信用ならないのです。
もちろんそのような人は少数でしょうが、寛容を失った惨めで情けない人間が、ネットなどの匿名性を利用して幅を利かす姿にはうんざりします。
新型コロナウイルスは新たな感染の流行期です。絶対に感染しないためには、外出をやめることです。当たり前の生活をしていれば、絶対に感染しないなどとは宣言できません。ですから、感染者を探し不確かな情報をもとに感染者を責める人は、どうか世の中に出てこないでください。
感染してしまい、身体だけでなく精神をも病んでいる人たちのできるだけ早い回復を心よりお祈りいたします。
そして、この社会の混乱によって生活が激変してしまった人たちの、心と身体の安定を祈ります。
さて43回のさまよい紀行では、近世の神社建築と山陰の仏像について書きたいと思います。
昨年12月の旅は、日本の最大のパワースポット巡礼になりました。稲佐の浜にはじまり、出雲大社そして美保神社まで計画されています。さらに今回は、さらにもうひとつのパワースポット日御碕(ひのみさき)神社に寄り道した話を書きます。
出雲大社から稲佐の浜に戻り、そこから海岸線を北西に車で走ると左に海のせまる断崖の山道に入ります。しばらく走っていると鮮やかに朱に染まった伽藍が見えてきます。その様子は、荒々しい冬の日本海と針葉樹のモノトーンの山々が、まるで大切な宝石を包み込んでいるようです。
日御碕神社は、島根県の西端に位置し、急な断崖を下りた入り江にこぢんまりとありました。
萬福寺宝物殿
この中に大寺の仏像が所蔵されている