厳かな境内
先生と海住山寺にて
COMMON ROOM


出雲ドーム内部(滝田さんより)
亀山末吉設計の仁和寺御殿のデザイン
ウイリアムモリス展
 出雲大社に行く前に「稲佐の浜」に立ち寄ります。ここでは出雲大社にお納めする砂をいただきます。これは今回弾丸旅程を企画した成田さんの発案です。
 言い伝えによりますと、旧暦の10月に「神議(かみはかり)」が出雲で行われるため、全国の神々がこの稲佐の浜に降り立ち、そこから出雲大社を目指しました。そのため、出雲地域以外ではその10月を神無月と呼び、出雲では神在月と呼んでいるのだそうです。そんな訳で、稲佐の浜の砂を出雲大社に納めて、その帰りに清められた砂を持ち帰るとその砂には大きなパワーを持つことになるのだそうです。
 今までの先生との二人旅では、このようなしゃれた企画はありませんでした。もっぱら社寺建築を観てデザイン性や耐震性能の話をして、そして仏像を観ればうんちくを披露したり感想を話ししたり、お土産を買うこともなくほぼ直行直帰が当たり前でした。いまさらながら、もう少し遊びを取り入れても良かったかなあなんて思ってしまいます。
 
 ちなみに、パワーの砂は弊社の神棚にも納めさせていただき、さいわいにも社員一同健康で過ごさせていただいております。
 
 稲佐の浜から砂をいただき出雲大社に着きました。
 出雲大社は言わずと知れた神社建築の代表作です。先ほどのいわれでもわかるとおり、由緒あるとても長い歴史を持つ神社です。
 日本に仏教が伝来する前は、神は民衆のよりどころになっていたに違いありません。今でも社(やしろ)を持たない神社がありますが、山や川、樹木や鉱物などそのものが崇拝のシンボルになっていました。そして古代の宗教では年に数度の祭礼のため、仮設で社を建設し、終われば取り壊すということを繰り返していたようです。そしてしだいに固定化し、現在のような神社建築が形作られます。
 古い形式としては、住吉造、神明造、大社造がありますが、いずれも簡素で住宅の延長上の造りに思えます。
 このたび訪れた出雲大社と神魂(かもす)神社は大社造の形式をとっています。古い形式の神社を拝観するのは初めてでしたので、とっても楽しみにしていました。
 出雲大社は切り妻屋根で、9本の柱を正方形に3行3列に配置し、妻壁の中央には棟まで伸びる宇豆(うず)柱という棟持ち柱があります。私は、なぜこのこの柱の位置が、軸線を少しだけ外して配置されているかとっても興味があって、そこに着目して参拝しました。
 袈裟襷文(けさたすきもん)銅鐸(国宝)に高床式の家屋が描かれています。銅鐸に描かれた高床式家屋は、切り妻屋根の妻入りで、棟の出は、妻壁面から大きく外側に張り出しているため、棟を支える柱は建物の外に配置されているのです。この形状は茶臼山古墳出土の埴輪にも残っており、神社も当初は仮設だったことを考えれば、住宅の形式を踏襲し造られたものなのではないかと思います。そんなこと考えながら古い形式の出雲大社を拝観していると、とっても楽しい時間をすごすことができます。
 
 しかし、出雲大社は大きな伽藍が形成され、建物の造りも洗練されていて、意匠デザインや使い勝手、そして構造的な合理性のためでしょうか、宇豆(うず)柱は一般的な建物と同様に、矩形の軸線に沿って配置されていました。
 東京国立博物館で今年開催された「出雲と大和」では、平安時代から鎌倉時代にかけて存在していた出雲大社の発掘された柱を見ました。それは、巨大な3本の柱を束ねた3m近い組み立て柱です。そしてその柱位置は、平安時代の金輪造営図に描かれた通りの、軸線からずれた位置に配置されていたのです。
 古い形式を見る事ができないのは残念ですが、非対称形の妻入りの姿や、単純な架構形式を相似形のまま巨大化した架構、2乗3乗法則を無視するように威圧的に悠然と建っている姿。、
 それらは、構造的合理性を欠きながらむしろ恐ろしいほどの威厳に満ちた姿でした。
 出雲大社は日本の神社の中心です。したがって事務的な役割も必要でしょうし、大勢の参拝者の対応も必要です。そのためか少々観光地化されている感じも否めません。はじめてこの地に立ったときの感想は、建物の威容とは裏腹に、喧騒の中に多くの建物がひしめき合う姿でした。
出雲大社本殿東面

   第42回『建築と仏像のさまよい紀行』(山陰の旅 出雲)
 
 訪れた社寺建築
 出雲(いずも)大社    出雲市
 神魂(かもす)神社    松江市

 次回はいつになるかわかりませんがこの旅の続きを書きたいと思います。
 
 さて、新型コロナウイルス感染に歯止めがかかりません。医学的なことはわかりませんが、会社を経営するものとして大きな試練です。以前も書きましたが、未来予測がとても難しい時代になりました。
 ウイルスは人間の身体をむしばむだけでなく、人間を試すように心の中に入り込み、人間関係が壊れていく様子をもてあそんでいるような気がします。それこそが新型ウイルスの思うつぼだと思います。もう誰がどこで罹患しても不思議ではありません。新型ウイルスが死滅することは絶対にありませんから、一人ひとりが感染確率を下げる努力をするしかありません。
 はからずも、日本に新型ウイルスが上陸したとき、朝礼で「エイズ差別を受けたミュージシャン」の話をしました。
 もちろん、誰が感染したとしても、それは差別の材料ではなく、感染した人には病気をねぎらう言葉が第一に必要なことです。新型コロナウイルスはだれでも感染する可能性があります。
 
 私たちの職業は地震という見えない敵と戦っています。ある意味それも確率論で戦っています。絶対が無いとするならば、むしろ「寛容」が必要です。もしその寛容がなければ何もできません。
 感染したくなければ家から出ないことです。感染した人を許せないならあなたは家から出ないことです。そのかわり、そのことにより発生する不都合をすべて受け入れなければなりません。
 私は生きています。だから家から出て業務活動を必死でしなければなりません。感染する可能性がありますが、出来る限りの予防対策をしたうえで経済活動をしなければなりません。
 
 どうか新型コロナウイルスが、人の心を分断しないように、人の命を奪わないように、そして、世界の国々が利己的な考えを捨てて平和な世界を築けますように心から祈ります。
出雲大社本殿西面と筑紫社
先生と宇治にて
出雲ドームジャッキアップ(滝田さんより)
出雲神社参道
貴布祢稲荷両神社 納まり詳細1
貴布祢稲荷両神社背面
本殿脚部その1
本殿宇豆柱脚部
本殿宇豆柱頂部
本殿宇豆柱頂部の様子が見える
神魂神社本殿全景
神魂神社本殿正面(東面)
大社内で重なり合う屋根群
素鵞社(そがのやしろ)稲佐の浜の砂を納めます
稲佐の浜
諸建屋その1
貴布祢稲荷両神社 納まり詳細2
諸建屋その2
貴布祢稲荷両神社正面
本殿脚部その2
神魂神社拝殿と本殿その2
神魂神社拝殿と本殿その1
神魂神社本殿南面
神魂神社本殿側面
神魂神社鳥居
神魂神社参道
銅鳥居の文字
 出雲大社の次は神魂(かもす)神社を拝観しました。神魂神社も出雲大社同様大社造の神社です。
 ここは、出雲大社とはすべてにおいて真逆の環境でした。
 駐車場の様子、参道の整備状況、建物周辺の外構、社務所の対応、仙台を離れるときに想像していた期待通りの場所でした。
 
 まず、境内の空気が違います。なにかいる。厳か。怖い。
 建築はすばらしいと叫びたくなりました。
 最高の建物です。久しぶりに興奮しました。
 
 神魂神社本殿は、出雲大社とは違い建物の近くまで入ることができます。したがって、床下から架構形状を観察することができるため、とても興味深い大社造りの構造がわかります。
 当時は掘っ立て柱だったはずですが、現在は石場建てに変わっていましたし、貫が多用されている様子もうかがえます。しかし、目の前で巨大な宇豆(うず)柱や心柱を見る事ができて久しぶりに震えました。
 もちろん宇豆柱は軸線を逸れています。大社造りの単純で巨大化した架構形状は、出雲大社と同じですが、巨大な宇豆柱が軸線をずらして柱配置されているさまは、構造的違和感になり胸騒ぎをするような感覚に襲われます。それはまさに神の威厳なのかもしれません。境内に入った瞬間から圧倒されてしまいました。
 内部の間取りは判りませんが、基本的な平面立面構成は出雲大社と一緒です。
 階段を上った神殿部分には、外周に縁が設けられ手すりが付いています。目を閉じてこの縁側を取り外すと、本当にシンプルな穀物倉庫か住宅のように見えてきます。
 重厚な檜皮の切妻屋根に置き千木と3本の鰹木が載ります。幅のある破風板が構造材を隠していますが素朴さには変わりません。
 正面以外の3面は落とし込みの板壁ですが、正面は向かって右側に板戸があり左側にしとみ戸を入れています。
 柱脚は石場建てになって、根からみ貫によって堅剛に固定されています。しかし、間近で古代の初歩的な構造の仕口を見る事ができてとても感激しました。
 
 境内には本殿の他に小さなほこらが点点と存在します。その中には貴布祢稲荷両(きふねいなりりょう)神社という二間社流造りの珍しい社殿があります(重要文化財)。一般的には社寺建築は左右対称形になるため、入り口を中央に持つためには偶数の柱になりますが、この建物は奇数の柱(2間)になっています。賽銭箱が左右対処に二個並び、祭られる神様もひとつの社(やしろ)に二御霊なのでしょうか。そのようないわれの記載もなく、太古に想いを寄せてゆっくりと過ぎる時間を存分に味わうことができました。
 神魂(かもす)神社はとてもすばらしい大社造りの遺構建築です。ぜひ出雲大社の帰りに足を延ばしてみてください。
出雲大社本殿北側(宇豆柱は軸線上)
出雲大社本殿背面
 そして今回の出雲城崎温泉の旅も、先生からの次のようなメールからでした。
 「城崎温泉の温泉寺に、壽宝寺(以前京都南山城に先生を案内した時の寺)の像にそっくり、しかも解説文によると834本もの手が残っているとのこと、これはもう千本の手を有する千手観音を当初から意図して製作され、長い年月を経る間に失われたもの断定していいのではないかと思います。つまり真の千本手の千手観音像は3体ではなく4体であったというわけです。いかがなものでしょうか。」
 先生からメールをいただくと頭の中は旅の空です。すぐさま城崎温泉の旅を計画しました。先生との旅は、万事そんなノリではじまります。
 その後も、「瀬戸内市に初期密教の真理がうかがえる檀像型の仏像がある。しかし、体調が思わしくないのでもう行けないかも知れない」とのことなので「気候がよくなったらまた行きましょう」とお話ししていましたが、本当にかなわぬ夢となってしまいました。
 還暦を迎える男が、いまだに大学時代の恩師に頼る姿は美しいとは思えませんが、先生との関係は、緊張もしたし勉強もしたし怒られたし、そして、笑いながらお酒を酌み交わした楽しい二人旅は、永遠に終わってしまいました・・・。
 向こうの世界で父と会って「バカ息子だなあ」なんて言ってる先生の声が聴こえてきます。ご冥福をお祈りいたします。
 昨年末の2泊3日弾丸旅行は、城崎温泉の温泉寺が主目的とだと書きましたが、大社造りの古建築に会えることもとても楽しみにしていました。今回のさまよい紀行は、その出雲大社と神魂神社について書きたいと思います。
 
 またまた筆の進みが遅くなっています。城崎温泉を4月の初旬にアップしてから4カ月、その間いろいろありました。5月に父が亡くなり、7月に私に大きな影響を与えてくれた恩師が亡くなりました。いずれの葬儀も、新型コロナウイルスの感染予防のため制限の多いなかで見送ることになりました。
 今、心の中には大きな大きな空白があります。
 私はすばらしい先生方に教えていただき、とっても恵まれた学生生活を送りました。そして卒業後もたくさんの先生方にお世話になり、卒業してすでに40年になろうとしていますが、いまだに親しくお付き合いをさせていただいています。
 このたびお亡くなりになった先生は、ゼミの指導教授ではありませんが、直前まで専門の解析のアドバイスはもちろん、仏像の話や古建築の話をたくさん教えていただきました。
 宮城県立美術館では、新型コロナ騒動のさなかではありましたが「ウイリアムモリス展」が開催されていました。そういえば一昨年末、先生からのお誘いで、モリスの影響を受けた亀岡末吉の作品を見ようということで、古建築にモリスのデザインを探すために京都仁和寺に行ったこともありました(第35回さまよい紀行)。
 さて、時間を戻して昨年12月の旅の続きです。
 最初に出雲空港に降り立ったときは、島根は猛烈な土砂降りの中でした。
 レンタカーの車のワイパー越しに、雨にけむる出雲の国の風景が映し出されます。しばらくすると左側に巨大なドームが出現しました。
 これは出雲ドームと呼ばれる直径約150m高さ50mの全天候型大空間多目的施設です。骨組みは木材を貼りあわせた集成材とケーブルのハイブリット構造でドームを形成し、その骨組みに柔らかい膜を張り屋根にしています。内部から見たその骨組みは、蛇の目傘(和傘)をイメージしているそうで、傘の骨は放射状に36本あり、その骨はヒンジと呼ばれる4個の関節を持つ直線材で形作られています。
 
 出雲ドームは、弊社で行う勉強会「滝田塾」の講師滝田さんが構造解析に関わられた構造物で、塾の講義でも説明をいただきました。
 解析のご苦労はもちろんですが、建設中の建て方もユニークなアイデアが満載で、本来アーチ状に形成される骨組みの緩めた4個のヒンジを活かし、最初は直線にした骨組みを地面に放射状に置き、中央部分を徐々にジャッキアップし地上の支点をスライドさせ所定の高さになったときに固定する方法を採用したそうです。
 50mの高さまでジャッキアップするという、なんともダイナミックな組み立ての様子を講義でうかがった時は、その時の興奮の様子が伝わってきました。車窓越しに見える雨にけむるドームを見ていて、「滝田塾」でのとっても素敵なお話を思い出しました。
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