円成寺春日堂蛙股
宮城県瑞巌寺方丈懸魚
宇治上神社摂社春日神社
宇治平等院
建具のデザイン
宸殿縁側の建具詳細
左の写真は、宸殿の渡り廊下の小境戸。桟木に幾何学の規則的なリズムを与え、見るものを楽しませてくれます。
右の写真は、建具の上部。板をハート型に繰り抜いています。
左の写真は、白書院の渡り廊下のコーナー部分。板の配置、石の配置、細部にわたりこだわりつくしています。
右の写真は、渡り廊下の欄干。釘隠しを笹の葉のような金物で作っています。
亀岡末吉、キュート。
左の写真は、黒書院縁側から北庭を撮影したものだが、こんなところで月を見ながら日本酒が飲めたら最高ですね。
右の写真は、白書院から宸殿への渡り廊下だが、雁行した平面と高低差を利用し、歩くときの視覚の変化を計算しているように感じます。
白書院から宸殿への渡り廊下
勅使門軒の納まり
勅使門の透かし壁
勅使門蛙股
霊明殿蛙股
大玄関内部の蛙股
大玄関の唐破風
金堂
仁和寺中門
宸殿
大玄関
平唐門
勅使門
さて本題に入ります。古建築や仏像の話になると、奈良や京都の文化財が浮かぶと思います。奈良京都には文化財が集中しているため当然だと思います。古建築や仏像に興味の無い人でも、修学旅行や折々の観光で一度や二度は訪れた経験があるのではないでしょうか。
以前の京都奈良は、有名な寺院以外どこも静かなたたずまいみせていましたが、最近は世界各国から観光客が押し寄せ、どこにいっても小さな路地にまで騒々しい会話が飛び交い、すっかり様変わりしてしまいました。
そのような観光地化を批判する人もいますが、すべてが悪いことではなく、訪れた人それぞれが
日本の伝統文化を世界中に発信してくれれば好ましいことだと思います。とは言うものの、聞きなれない外国語が飛び交い、喧騒の中で歴史に思いを馳せるのは難しいことです。
しかしそんな喧騒の中に普段はなにげなく通り過ぎる場所であっても、ちょっと立ち止まると、思いもよらない発見をすることがあります。
私は、昨年奈良の当麻寺のシンポジウムに出席しました。
訪れた2018年10月初旬は、台風が頻繁に発生し日本を直撃していました。記憶に新しいところでは、9月初旬の台風21号でしょうか。関西空港を直撃し強風と高潮で大きな被害が発生し使用できなくなりました。その後も2週に一度のペースで発生していたため、台風を避けるには間の期間に行くしかありません。しかし、今回の主目的はシンポジウムなので出発日を変更できず、その時に台風が来ないことを祈ることしかすべがなかったのです。さらに、その旅は、私の大変尊敬する先生を無理にお誘いしたためとても心配しました。
結果的にその旅は、台風24号が奈良和歌山を直撃し離れたあと仙台を発ち、その後に奈良を通過する可能性があった25号は、日本海側を縦断したため、シンポジウムやフライトに影響がなく無事に行程をこなすことができました。
その同行していただいた先生というのが、私に仏像の魅力を教えてくれた建築構造解析の先生です。最近の先生との会話は、本業からはなれ、もっぱら古建築や仏像の話になってしまいましたがとても楽しく刺激的なお話をいただいております。
先生と二人で、台風の影響も無く、のんびりと京都から奈良の山奥の古寺や仏像の世界をさまようことができました。
仙台から奈良へは、伊丹でも関西空港からでも同じなのですが、当初、関西空港からレンタカーを借りて根来寺や・金剛寺・観心寺を散策しながら奈良当麻寺に行く予定でした。しかし、台風の影響で関空でのレンタカーの手配がつかず、伊丹空港から阪急を乗り継いで、まずは京都に入ることにしました。京都では仁和寺を拝観し、その後奈良に入り白毫寺・長岳寺・石上神社・当麻寺をめぐり、最終日は橿原考古学研究所の付属博物館で特別展・海住山寺・観音寺・神童寺・禅定寺をめぐる旅程にしました。
大阪から京都への移動の車窓では、大阪高槻でブルーシートに覆われた屋根をたくさん見ました。おそらくは大阪北部地震や台風21号の被害後だと思われます。仁和寺に行くタクシーの運転手にうかがいましたが、瓦職人が不足し地震と台風による被害家屋がいまだに補修できずにあるそうです。
最初に先生お薦めの亀岡末吉の作品を仁和寺で拝観しました。
仁和寺といえば、宇多天皇により平安時代に創建され、「徒然草」の一節
「仁和寺にある法師・・・ 先達はあらまほしきことなり」を思い出す人もいると思います。
創建後、宇多天皇は若くして譲位し仏門に帰依しました。そのとき仁和寺は門跡寺院であり、伽藍の中に居(御室御所)を構えたため、御室と呼ばれる格式高い寺院になったようです。
左の写真は、仁和寺中門から仁王門(いずれも江戸時代前期の国重要文化財)を撮影したものです
が、この距離からも、大伽藍であることがうかがえます。
右の写真は、宸殿の縁側の小境にある建具を撮影したものです。上部の透かし模様はいかにも亀岡
末吉らしく繊細で美しいデザインがほどこされています。
左の写真は、勅使門の全景で威厳に満ちたバランスの良い唐破風と繊細で細い蛙股が印象的です。
右の写真は、平唐門の欄間の透かしを撮影したものだが、これも繊細で亀岡末吉らしいこだわりがうかがえます。
毎日がめまぐるしく過ぎ、いつのまにか桜の季節が終わり仙台は新緑の季節になりました。忙しさにかまけて「さまよい紀行」の書き込みが遅れてしまいました。
まずは仕事の近況を報告します。年度末に「旧大川小学校震災遺構基本設計」が終了しました。そして、重要文化財3棟(江戸時代)の地震応答解析が終了しました。
しかし、安堵していたのもつかの間、次から次へと仕事が舞い込み、気が休まらずゴールデンウィ
ーク期間中も仕事をしていました。
私の担当する建設現場は連休中も稼動していましたが、その中には休むことによって所得が減少す
るため、働けることをむしろ喜んでいた方もいました。連休中テレビは渋滞が何キロだとか、ごった
がえす人で混乱している観光地を報道していましたが、渡り鳥の移動のように、一斉に行動するのも
いかがなものかと思います。
私のようなへそ曲がりの人間からすると、他国から押し付けられた働き方に盲目的に従うのではなく、まずは戦後の復興を支えた、勤勉なモーレツ労働者によってもたらされた現在の繁栄を、この
10日間の期間中に感謝しながら過ごして欲しいと感じます。
仕事には常に責任がともない、時としてそれは不合理なこともあります。最近はその不合理な面
だけをクローズアップして問題視しますが、そこから逃げ出したら日本の将来を誰が支えるのでしょうか。無理してでもやらなければならない仕事はたくさんあるはずです。
私たち建築にたずさわる人間は、こだわりも多いし自己主張も強いです。寒い日暑い日、時には雨
でも雪でも約束した日まで竣工させなければなりません。時間がきたら止めて、残業はしないで、
土日を休んで、ゴールデンウイークを休んで、はたしてそれで竣工させられれば良いのですが、労働
法を後ろ盾にできないことを正当化する風潮がみられます。挙句の果てに、終わらなければ上司のス
ケジュール管理が悪いと言い出す始末。私の感覚では、それぞれができる最大限の努力をして完成さ
せる工夫をしていたような気がします。
国が一律的に主導して働き方を制限していくことには疑問です。
私は、きつい仕事が終わった後に、夏なら帰りに冷たいビールを飲んで、大変だった一日を流す。
そんなささやかな幸せが好きです。
ついでに、業務外の近況報告をします。仙台国際ハーフマラソンに出場しました。
昨年のマラソンを沿道で見て感動して、1年間のトレーニングを経て完走することができました。
40年近くスポーツから遠ざかっていた私にとって、2時間8分で走ることができたのは、自信にも
なりましたし、地道なトレーニングで身体を作り上げたことに自画自賛しております。ランニングは
自分との戦いですし、とっても苦しいですが、無心で走って走り終わったあとの解放感が好きです。
年齢のこともありますので無謀であることは承知しておりますが、今後も無理せず少しずつ走ろうと思います。
軍艦島後編を書いたあと、いつの間にか元号が変わりました。
会社を立ち上げたのが、平成に変わった頃でしたので創業から30年になるかと思うと感慨深い
ものがあります。
時代の移り変わるスピードはますます加速しているように感じるのは私だけでしょうか。平成の
はじめの頃は、馬車馬のごとく必死に働いていました。その日の一日は、仕事をしているか寝てい
るかのどちらかのようなそんな毎日だったような気がします。
設計図面は、ドラフターで手書きだったのがCADに変わり、さらに現在は、弊社が推進している
BIMに変わろうとしています。
令和の時代はどのような時代になるのでしょうか。
平成時代と同様に戦争のない平和な時代であって欲しいと心から願わずにはいられません。そして
これからの新しい時代は、日本のみならず世界中から争いが無くなり、子ども達に笑顔があふれる、
そんな時代になって欲しいと思います。
仁和寺宸殿の縁側小境建具
白書院鴨居の上のデザイン
宸殿上段の間
黒書院(北庭)から五重塔を望む
白書院から宸殿への渡り廊下
中門から仁王門を望む
第35回『建築と仏像のさまよい紀行』
訪れた寺院
京都仁和寺(888年(仁和4年)創建)
しかし、応仁の乱の戦渦に巻き込まれ寺院は衰退してしまいます。荒廃した伽藍は、江戸時代に幕府の庇護の元移築や再建によって整備されます。その後も、明治から大正にかけて伽藍整備されますが、そのときに活躍したのが亀岡末吉です。
私は何度も仁和寺を訪れていますが、亀岡末吉設計作品に着目して拝観するのは初めてです。というよりは、恥ずかしい話ですが亀岡末吉を私は知りませんでした。
日本の建築文化は、大陸の影響を受けてその時々に変化してきました。しかしどの時代においても、日本の文化を捨て去るのではなく、他国の文化の良いところを日本人の感性に合わせてアレンジし、融合させてゆきます。飛鳥時代の寺院建築の輸入、鎌倉時代の唐様禅宗様の輸入、そして明治初期には擬洋風建築なるものも現れ(第15回さまよい紀行参照)、その時代ごとに大きな影響を受けたと思います。
亀岡末吉も日本のデザインをベースに独特の作品を生み出します。亀岡は、宇治平等院鳳凰堂の
修理を行うなど社寺建築の保存修復に関わる京都府の技師でした。その後、仁和寺の宸殿や東福寺
方丈の復元設計を行います。彼のかかわった建物は、細部のデザインの美しさが傑出していて、意匠に対する強いこだわりが感じられます。
仁和寺では、先生の説明をいただきながら、仁王門からスタートし大玄関・白書院・宸殿・黒書
院・勅使門と亀岡のデザインを堪能しました。
その間「亀岡末吉」はもとより「ウイリアムモリス」「天沼俊一」「カタランボールト」いろんな話が飛び出しました。解説をしていただきながら拝観すると、建物の観方がまったく変わります。
普段は何気なく通り過ぎるそんな場所に、その時代の作家の強い想いがあり、その想いを全身で
感じながら作品を観ることができてとても幸せでした。
左の写真は、宮城県瑞巌寺方丈の懸魚。デザインが緻密になればその強度は低下し朽ちるのも早いです。
右の写真は、円成寺春日堂の蛙股。私の一番好きな蛙股。繊細さは無いが、力学的合理性に沿った力強い蛙股。私にはこの蛙股は仁王像のような仏像に感じます。
白書院小壁のデザイン
白書院欄間のデザイン
左の写真は、ご存知宇治平等院。亀岡末吉が保存修復にたずさわったといわれています。
右の写真は、宇治上神社近くにある春日神社。亀岡末吉が、復元に関わったといわれています。なるほど、懸魚や蛙股には彼らしいデザインが見られます。
白書院縁側のコーナー
欄干の釘隠し金物
黒書院奥
渡り廊下の欄干
黒書院(北庭)から五重塔を望む
先生には恐れ入りました。まさに「仁和寺にある法師・・・ 先達はあらまほしきことなり」と
いったところでしょうか。
次回は、白毫寺以降の先生との珍道中を書きたいと思います。
亀岡末吉の詳細な解説は割愛しますが、その一端を以下の写真で堪能してください。