その後東大寺は、戦国時代にも戦火に飲み込まれます。
焼失した東大寺を江戸時代に復興したのは公慶上人でした。
 今回の「東大寺と東北」展では、平安時代末期と戦国時代に被災した東大
寺を復興させた、重要なプロデューサー2名の坐像が展示されました。
 

 このたびの展覧会では、何度打たれても立ち上がるその復興リーダー両名
の存在を感じることで、きっと東北に大きな力を与えてくれたに違いありま
せん。
 
 さて、展示されたひとつひとつの仏像を観てみましょう。
 最初に出会ったのは、灌仏盤に乗る誕生釈迦立像です。灌仏会(花祭り)
では、甘茶をかけて釈迦の誕生をお祝いする行事があります。これはそのとき
に使用するものです。
 今回はじめて東大寺の誕生釈迦立像をみましたが、写真で見る限り小ぶり
の印象でしたが、実際に観るとお釈迦様の背丈は50cmもありました。
 生まれたばかりの御釈迦様は、ふくぶくしい右手を高々と上げて誕生を宣言
しています。幼児体型と微笑をたたえるそのお姿に、誰もが癒されるに違いあ
りません。東京国立博物館の法隆寺館には、麻耶夫人像があって、その着物の
たもとから、今まさに生まれようとして手を合わせるヤンチャなお釈迦様が観
られます。誕生釈迦立像は、たもとから生まれたあとにすっくとたって、右手
を上に左手を下に「天上天下唯我独尊」と唱えたといわれる姿です。
 台座にあたる灌仏盤の外周にはさまざまな模様が彫られています。私が特に
興味深かったのは、正面むかって左側の2層の寺院が彫金されていたことです。
 この寺院は、石場建ての柱で、間口3間、奥行き2間で、2層目は逓減し
屋根には「し尾」が乗っています。家型埴輪などを観ているとその当時の様子が
伺えますが、まさに飛鳥奈良時代の建物の様子を思い浮かべて長い時間そこに
とどまることになりました。
 光の加減でしっかり見ることができなかったことは残念ですが、とてもワク
ワクしました。

陸奥国分寺 復元した回廊
東大寺展のパンフレット
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誕生仏
誕生仏タペストリの裏側
誕生仏裏反転
 その後、良弁の建てた東大寺は、南都焼き討ちにより転害門を残しほとん
どの建物を焼失します。
 そんななか、東大寺復興プロデューサーに指名されたのが、重源上人です。
いわば彼が鎌倉時代の復興の立役者で、第二回目のさまよい紀行では、鎌倉
時代のYAZAWAとして書きましたが、生涯現役を貫き、80歳を超える
年齢まで全国を行脚し、熱くパワフルに再興をプロデュースした方です。

 さて、東大寺に話を戻します。
東大寺の開山は良弁です。良弁坐像が安置されている開山堂は、鎌倉時代
に重源によって建設され、外部ではあまり感じられませんが、内部には大仏
様の工法が色濃く残っています。
 宝形のこじんまりした建物ですが、端整でとても素敵な建物です。そして
堂敷地には「糊こぼし椿」が咲く、とても落ち着いた静かなたたずまいに
なっています。
開山堂の糊こぼし椿
■ 第21回-
■ 第11回-

 第31回『建築と仏像のさまよい紀行』


 さまよったところ
 宮城県多賀城市 東北歴史博物館「東大寺と東北」展

■ 第1回-
 今年に入って、大川小学校(宮城県石巻市)震災遺構プロジェクトのプロ
ポーザルに、共同企業体として応募するため作業を行っておりました。
 当初から難しい仕事になることは覚悟しておりましたが、それは私の
予想をはるかに超えるものでした。
 2月にヒアリングを終え、3月に優先交渉権者として選ばれ、おそらく
誰も経験したことが無い、震災建物の遺構整備計画を現在行っております。
 この計画によって、なぜこのようなことが起きたのか、そして津波の力
のすさまじさを知っていただき、二度のこのようなことが起きないよう後世
の人に伝えたいと思います。そして、なによりも犠牲になられた人々の
鎮魂の場所を丁寧に計画したいと思います。

 そのようなわけで、業務に集中したいという思いから、軌道に乗るまで
と思い休んでいたのですが、ようやく見通しがつきましたので「さまよい
紀行」を書き始めました。つたない紀行文ですが、読んでいただいた方々
から更新されない紀行文に「どうしたんだ」と聞かれると、読んでくれて
いるんだなぁと、とてもうれしく感じます。
 もちろん、私自身このように長い期間休筆するとは思いませんでした
が・・・。
 
 
 さて再開した紀行文は、31回と32回の二回に分けて、4月28日から
6月24日まで東北歴史博物館で開催されていた、「東大寺と東北」展に
ついて書きます。
誕生仏のタペストリ
満車です
大川小学校の夕焼け
大川小学校(津波の波力で倒壊した渡り廊下)
参堂の鹿神の使いです
朝もやの東大寺境内
二月堂
二月堂から見下す開山堂(御開帳日)
■ 第32回  2018.10.05UP
■ 第31回  2018.08.17UP
COMMON ROOM

 次にご紹介するのは「試みの大仏」弥勒坐像です。
 写真のイメージではもっと大きい仏像を想像していましたが、実際には小
ぶりで、高さは40cm程度です。
 巨大化したときに、下から見上げられたときの遠近法による見え方を意識
していたのでしょうか。ぬっと突き出した顎、大きな頭と手、大きな目が力
強くしっかり掘られ、圧倒的な存在感が目に飛び込んできます。
 端整さは時として印象を薄めます。しかしこのデフォルされた姿は、強い
インパクトをもって、私の心に訴えてくるものがあります。
 正面に立つと、「しっかりしなさい」といわれているような気がしました。
 愛らしくとっても素敵な仏像としていつまでも記憶に残ります。
 

 次は、おまちかねのアベックの五劫思惟阿弥陀如来像です。
 アベックという言葉は、今は使われないのでしょうか、でもこの並びはア
ベックという表現がしっくりきます。
 想像通りの可愛さで私を受け入れてくれました。左右に並び、観るものを
その比較に誘うのですが、それぞれが個性的で、その仏像に集中するあまり
2像を比べる事を許してくれません。
 修行の間に髪は伸びほうだい、いわばその姿で時間の経過を示すものです。
しかし、髭はなく耳の周囲はきれいにカットされ整っています。もちろん
そんな細かいことはどうでもよくて、長い間、一心不乱に修行を続けたお姿
がそこにはあります。
 二度とないかもしれない五劫思惟阿弥陀如来像のアベック姿、いやいや
そんなことはありません。
彼らはすでに五劫の時代を一緒にすごしてきたのです。
 五劫といえば、天女の羽衣が石に触れて、その石が削られ消滅する年数を
一劫として、それが5回繰り返される年数ですから気が遠くなります。そん
な気の遠くなる時代をさらにこれからもすごすことでしょう。私の次の次の
ずっと先の子孫が、同様のアベック姿を観ることになるかもしれません。
 どうか、永遠に平和で幸せな時代が続くことを祈るばかりです。
 

 次回は後編を近々に書きます。
 3月はじめに書いてから、さまよい紀行は6ヶ月間、思うことがあって
執筆をやめておりました。
開山堂(随所に大仏様が見られる)
 今回の展覧会で鑑真和尚と並んだ良弁僧正のお姿(絹本著色画)を観ても
御開帳のとき現地で坐像を観たときも、とても厳しい方とお見受けしました
が、優雅な庭と「糊こぼし」のおかげで、私にとって良弁僧正の印象は、
とても優しい文人のイメージです。
 開山堂は、普段非公開なので中には入れませんが、二月堂正面に位置して
いるので、高台の二月堂から見下ろすとその全貌が見渡せます。

東大寺のパンフレット
信濃国分寺 三重堂
 現在、世界最大の木造建築(伝統工法による建造物として)を有する東大
寺は、華厳宗の大本山として奈良時代に聖武天皇により創建されました。
 聖武天皇は「金光明四天王護国之寺」として東大寺を創建しましたが、
同様の趣旨の建物(国分寺)を、全国各地に造ることになります。
 もちろん仙台の陸奥国分寺もそのひとつです。
 私は2年前、荒廃した陸奥国分寺の跡地に、回廊復元するため解析にかか
わりました。そのような意味でいうと、私も東大寺とかかわることができて
とても光栄です。

 開催の経緯は、おそらく東日本大震災復興祈願への思いで開催されたもの
だと思いますが、遠くはなれた東北と東大寺は古くからつながりがあった
ようです。
 東大寺は奈良の大仏で有名ですから、修学旅行などで必ず一回訪れたこと
があるのではないでしょうか。その大仏には、鍍金のために大量の金が必要
でしたが、まさにその金の産地が東北だったのです。
 
東大寺展のパンフレットに示された作品
概要
大仏殿金堂
 さまよったといっても、前期後期あわせて6回訪れたので、もはやそれは
通いつめたようなものでした。訪れた回数が多い分、会場ではその日ごとに
観るものを決めてのんびり過ごしました。
 見所はたくさんありますが、その中でも、東大寺と五劫院の五劫思惟阿弥陀
如来像が仲良く並んで展示されたことです。
 幸運でした。奈良では一体を観ることすら限られるのに、今回は並んでお参
りできるのです。このことは私にとって奇跡と感動でした。
 また、奈良大仏のモデルとして作製されたといわれる「試みの大仏」弥勒
坐像や、もちろん我らの重源坐像、そして愛らしい誕生釈迦立像など、国宝
17点、重要文化財25点という信じられない規模で開催されました。

転害門(鎌倉時代に耐震補強をしています)