前回に続き、東京国立博物館で開催されていた「運慶」展の感想と、京都国立博物館から祇園界隈をさまよったときのことを書きたいと思います。
 
 
 東京国立博物館や奈良国立博物館の仏像の所蔵数はとても多く、その中には国宝の仏像もたくさんあります。また、同様に京都国立博物館にも多くの仏像が所蔵され展示されています。
 これらは、廃仏毀釈や寺社所有者を取り巻く環境の変化によって、失われてしまっていたかもしれない貴重な彫刻だと思います。日本は、どこぞの国のように、体制変化にともない、不都合な文化財を破壊しリセットしてしまう野蛮な国とは違います。行き場を失った仏像を含め、文化財を大切に管理し守ることは、ある意味その国の教育水準の高さでもあるでしょう。また、海外に持ち出された仏像が、オークションを経て買い戻された例もあります。
 そのような貴重な文化財は、多くの学芸員によって守られています。その一方で頭のねじが抜け落ちた国会議員が「学芸員はがん」と言い放ちます。過去の歴史の中でも、不都合な文化財を抹殺してしまう政治家がいましたが、そうやって一時の感情によって取り返しができないことが起きないように、しっかり監督して欲しいものです。日本の歴史を大切にできない国民がいること自体信じられません。そのような発言を軽々しく言ってしまう議員がいることは、日本人として恥ずかしいし、とても悲しいことだと思います。
 
 もちろん仏像には、宗教的要素や文化的な価値だけではなく、美術工芸品としても楽しませてくれます。むしろ私はそんな美しい仏像に惚れたのかもしれません。
 
 最近まで京都国立博物館では、日本全国の多くの国宝を集めて大々的に「国宝」展が開催されていました。今回「国宝」展には行けませんでしたが、以前京都国立博物館の界隈をさまよったときのことを書いてみます。
 博物館の周辺は都市化の中でずいぶん雰囲気が変わりました。しかしその界隈には素敵な街並みがあります。旅人のわがままに免じて許していただくと、昨今の京都は観光地化されて外国人の数が多くて、うるさくて落ち着いて寺院の静寂を楽しめなくなったような気がします。また当然ですが、店も通りも変化してしまい少しだけ寂しい気持ちを持っています。
 
 そもそも日本の都は、大阪や奈良、滋賀などを転々としたあと、長きにわたって京都平安京が中心でした。現在の首都東京の繁栄はつい最近のことで、奈良時代が終わると日本国の中心は京都になります。それだけに都市化が進んだとはいえ、メインの通りから少しそれた路地をさまよい歩いていると、ふとしたところに歴史の舞台を目撃することがあります。
 
 蓮華王院(三十三間堂)から国立博物館を経由して裏道の大和大路通りを上ル(京都では北に進むことを上ル、南に進むことを下ル、東西へは入ルと言います)と、豊国神社、方広寺を過ぎたあたりから急に道が細くなります。風情のある家並みを見ながらあるいていると、歴史を感じるたたずまいの和菓子屋さんがありました。美味しいよもぎ餅を出してくれるので、春先などは、一個だけ購入して行儀悪く餅をほおばりながら、歴史と季節を感じながら路地を歩くのも楽しいものです。
 さらに進むと4車線の幅の広い五条通りを渡り、さらに大和大路通を上ルと、細い路地ぞいには宮川歌舞練場や祇園甲部歌舞練場などの舞妓さんの聖地があります。黒板塀に弁柄壁、足元は犬矢来の建物が軒をつらねます。もうすぐ祇園四条です。
 
 余談ですが、私は甲部歌舞練場の「都をどり」を観たことがあります。開演を待つために別室にしつらえられたお茶席に腰をおろしていると、清水焼のお皿に載った団子がいただけます。舞妓さんが点ててくれた抹茶をいただいていると、所得額の桁が違うような周りの人が、テーブルに敷いていた和紙に皿を包み始めてそれをバックに仕舞いこむのです。びっくりしましたが持ち帰りがお約束のようです。正直な感想を言うと、観客席の雰囲気や待合の雰囲気は別世界で、まさに私とは住む世界が違うと感じました。
 
 さて、蓮華王院から祇園までの道すがら、大和大路通を上がると六波羅蜜寺に行く六波羅裏門通や、清水寺に行く松原通の辻、そしてもう少し歩くと八坂通と建仁寺の大伽藍が見えてきます。この界隈は、華やかな祇園と背中合わせなのに、とっても不思議な京都魔界の入り口です。
 八坂通りを東に入ると六道珍皇寺という寺があります。そこは小野たかむらが現実と冥土を行き来した井戸があります。みなとや幽霊子育て飴本舗もすぐ近くにあります。もともと古い時代のこのあたりや鴨川べりはどのような場所だったかは歴史の本を見ていただくとして、京都の路地にはまだまだ不思議がいっぱい残っています。都市化が進んでも、長い時をかさねた歴史にはかないません。
 
 
 だいぶ横道にそれましたが、その界隈の六波羅蜜寺を探訪して見ましょう。蜜寺というと蜜の香り秘密の香り、壇蜜さんを連想して尼寺のように思えますが、念仏踊りの空也上人の開いた寺です。小規模の寺院ですが、多くの国宝や重要文化財の仏像が所蔵されています。
 その中でも印象的なのは、口から6体の阿弥陀仏を吐き出した、運慶の子康勝作の空也上人立像があります。念仏を唱えたときに発する言葉が、口から飛び出す阿弥陀像として表現されるなんて、その発想に驚きます。
 また、歴史教科書に清盛像として写真にのるのが、この寺の清盛坐像です。清盛というと、いかつい武士を想像するのではないでしょうか。間近で観る像は法衣に身を包み、火野正平さんのようなダンディな顔立ちで、憂いを含んだ瞳のシブい男性です。手には巻物を持ち読書する、さしずめインテリの清盛です。私にはとっても優しい表情に映りました。
 そして、さまよい紀行「運慶展前半」でも書いた運慶の長男湛慶の作と伝わる運慶坐像が正面に安置されています。私の想像する運慶は、細身で険しい顔のイメージでしたが、その姿はふっくらとした優しい顔立ちです。長男湛慶の作ですから、きっとたのもしく心優しいお父さん像を内面まで写し取った作品なのでしょう。
 さらに「運慶」展にも展示された運慶作の地蔵菩薩坐像があります。
 
 
 さて東京国立博物館の「運慶」展に話題を変えましょう。過去のさまよい紀行では、「円成寺大日如来坐像」や「重源上人」をとりあげました。そして前回の紀行では、慶派の系図のなかで運慶以前について書きました。
 今回は運慶や運慶の弟子の作品について感想を書いてみたいと思います。
 
 あらためて運慶デビュー作である「円成寺大日如来坐像」です。展示スペースに入場すると、すぐ目の前の中央に堂々と鎮座していました。
 何度観ても完成度の高さに驚きます。飛鳥奈良時代の金銅仏を思わせる肌面ですが、あきらかに血の通った皮膚感を感じます。多宝塔に安置されているときは、両脇や背面から観ることができません。360度から観る姿は、いろいろな表情を魅せてくれます。横から見るとやや後傾した姿勢でしたが、肘を横に張って高めの位置で智拳印を結ぶ姿がさらに上向きに上昇するように見えたのはこのせいでしょうか。
 右側と左側の表情が違います。正面向かって右側は少年のようですが、左側は少しだけ大人になった青年のようです。
 肌に張り付くような薄い裳は、理想化されたボディラインを強調し、大日如来としてはちょっと若さが強調された表情で、その姿には、以前見た京都観音寺の十一面観音(天平時代作)を思い出しました。そのような訳で、運慶のデビュー作を奈良時代回帰のように感じました。
 
 まったく妥協を許さない、これ以上のものは作れないような渾身の作品を、デビュー作にしてしまった運慶は、いったいどのような人物だったのでしょうか。その後の作品を観ていると、仕事に対する真剣さと、時代を背負ってゆく覚悟を胸に精力的に製作に取り組み、さらに、その後を担う弟子の育成に相当の力を注いでいた様子がわかります。
 いまさらながら運慶には、今の時代を生きるすべや、部下の育成方法を伝授して欲しい、今の私の強い願いです。
 彼の作品からそのヒントが欲しくて、いつになく真剣に仏像を拝観いたしました。
 
 「願成就院毘沙門天立像」は、国宝指定された年にトーハクで展示されたのでゆっくりと観ましたが、今回の拝観でさらにすばらしい作品だと感じました。今風に言うと「はみ肉」といわれる、締め付けた武具からはみ出したわき腹までもが見事に表現されています。本来どうでもよさそうなところにまで、しつこくこだわって作っているのがとてもおもしろく感じました。もちろん当時の理想体型がいかなるものかはわかりませんが、鎌倉時代であっても脂ののったわき腹が美しいとは感じないでしょう。そして、武具の詳細まで丁寧に仕上げていて手を抜くことは絶対にしない、そんな仕事に対する真剣な姿勢が伝わってきます。裳(こしまき)は身体の流れに沿って自然に風になびき、優雅な立ち姿で遠くを見つめます。足元には二体の邪鬼が、またまたいい感じで踏まれています。一体は毘沙門天の持つ槍の根元をつかみ、立ち上がろうとしています。脇役である邪鬼の髪はレゲェ風に結い上げ、その髪の毛すらも手を抜きません。さすが運慶だなあと感動しました。
 
 さて運慶展では、「浄楽寺不動明王立像」をはじめすばらしい作品がたくさん展示されていましたが、最後に弟子の作品で締めたいと思います。
 
 
 ご紹介するのは「天燈鬼龍燈鬼」の二対の邪鬼です。
 
 私は、高血圧で薬でも抑えられない状況だったので、減量のためジム通いを決断しました。体重のコントロールを目的としていましたが、会員の筋肉マッチョ姿をみていたら、せっかくなので理想体型を定慶作と伝えられる金剛力士像に定めて、筋トレをすることにしました。力強さの象徴の不動明王や四天王の腕や足は、基本的に幼児体系でポチャポチャムチムチです。しかしこの金剛力士像は、ミケランジェロの作品のようで解剖学的にも裏付けられているように感じます。
 しかし、中途半端な筋トレでは、ストイックな定慶金剛力士像に近づくどころか遠ざかるばかりです。そこでちょっと目標を変更して、茶目っ気たっぷりの、チビマッチョ康弁作の龍燈鬼に目標変更して現在はトレーニングにいそしんでいます。
 さてその天燈鬼龍燈鬼が、運慶の弟子作品として展示されました。通常は興福寺国宝館の壁際に配置されているので、背面を観る事はできません。したがって今回の運慶展では、彼らのお尻の観察が目的でした。
 そして、ようやく今回望みが叶いました。とっても長い時間をついやし360度の天燈鬼龍燈鬼を観ました。無駄のない肉付きと黒光りする肌、緊張する筋肉のうねり、足の付け根からふくらはぎにかけての筋肉美は、日本にもこんなにすばらしい彫刻芸術があったのだと心から誇らしく感じる瞬間でした。
 お尻の筋肉もしっかり見せていただき、ますます筋トレに力が入ります。ありがとう龍燈鬼君、そんな感じです。
 
 何度も何度も踏んづけられて、精神的にも体力的にも、そしてプライドまでもズタズタにされた脇役の邪鬼に、スポットライトを当てた表現は画期的だと思います。斬られ役の悪役が仏法の守護神として道筋を照らす良い人に変身しました。私の生まれ故郷、山形県高畠町屋代出身の浜田広介作「泣いた赤鬼」を思い出します。康弁の狙いは、鬼であっても改心し優しい心をもって生きることの大切さを描いているのだと思っています。
 龍燈鬼の巻きつく蛇には背割りがあります。背割りは割れを防ぐ目的だと思っていたら、この割れに金属の背ビレを挟み込んでいたようです。
 彼は、オチャメに上目使いをしてそのつぶらな瞳のまつげは手裏剣のような金属付けまつげです。
 
 天燈鬼は、重い燈を重心の変化で担ぐように腰のところから曲がっています。その屈曲のボディラインは仏像にパワフルさとリズム感を与えます。チビマッチョ天燈鬼龍燈鬼の二人は、私のあこがれ理想体型になっています。
 閉館間際の天燈鬼龍燈鬼部屋の30分間は、人の数もまばらでほぼ2人をひとり占めできました。360度全周観ることで、知らなかったことや、感動することがたくさんありました。
 とにかく邪鬼の存在アピールは、願成就院毘沙門天立像邪鬼のレゲェ髪型や、康慶作興福寺四天王像邪鬼のムンクの叫びか宮尾すすむの変顔、そして苦し紛れの出目金タイプなど、なんともせつないものばかりでしたが、康弁のそれは、最大主役級の扱いで仏像脇役がスターになった瞬間だと思います。
 
 
 仏像造形には、鼻から牛乳、もとい、空也上人の口から阿弥陀や、京都国立のオカルトチックな顔の中に顔の宝誌和尚、奈良国立の阿弥陀如来の股間に蓮の花などユニークで自由な表現がみられます。今的に言うとアバンギャルド芸術が古い時代の日本にあったことはすばらしいことだと思います。
 
 今回の運慶展によって、私はとても幸せで充実した時間をいただきました。日本の芸術の奥深さを感じ、日本に生まれて良かったとつくづく思います。
 
 
 最後に、今回特別チケットで購入した、龍燈鬼フィギュアと高山寺に伝わる湛慶作と言われる子犬フィギュアの写真をアップして終わります。
 
 
 次回は弘前の街をさまよったときに出会った円空仏を書きたいと思います(予定です)。
 
 
 
 追伸 運慶の作品はどれくらいあるのでしょうか。
 今回の「運慶」展では異論のあるものの31体という数値を示しています。プロデュースした作品を含めたり胎内仏を数えたりすると数値に違いが出ますが、とりあえず自分なりに製作年と所在寺仏像名をリストアップしてみます。
 
 1. 1176年円成寺大日如来
 2. 1186年願成就院不動明王
 3. 1186年願成就院こんがら童子
 4. 1186年願成就院せいたか童子
 5. 1186年願成就院阿弥陀如来坐像
 6. 1186年願成就院毘沙門天立像
 7. 1187年頃六波羅蜜寺地蔵菩薩坐像
 8. 1189年浄楽寺阿弥陀如来
 9. 1189年浄楽寺阿弥陀三尊勢至菩薩
 10. 1189年浄楽寺阿弥陀三尊観音菩薩
 11. 1189年浄楽寺不動明王立像
 12. 1189年浄楽寺毘沙門天立像
 13. 1189年興福寺仏頭(伝運慶)
 14. 1189年興福寺南円堂四天王像1
 15. 1189年興福寺南円堂四天王像2
 16. 1189年興福寺南円堂四天王像3
 17. 1189年興福寺南円堂四天王像4
 18. 1193年真如苑大日如来坐像
 19. 1197年金剛峯寺八大童子1
 20. 1197年金剛峯寺八大童子2
 21. 1197年金剛峯寺八大童子3
 22. 1197年金剛峯寺八大童子4
 23. 1197年金剛峯寺八大童子5
 24. 1197年金剛峯寺八大童子6
 25. 12世紀末光得寺大日如来坐像厨子内
 26. 1201年瀧山寺聖観音菩薩
 27. 1201年瀧山寺梵天立像
 28. 1201年瀧山寺帝釈天立像
 29. 1203年東大寺南大門金剛力士立像あ形
 30. 1203年東大寺南大門金剛力士立像ん形
 31. 1206年頃東大寺重源上人坐像(伝運慶)
 32. 1212年興福寺北円堂弥勒如来坐像
 33. 1212年興福寺無著立像
 34. 1212年興福寺世親立像
 35. 1216年光明院大威徳明王像
 
 
 あれ?35体。東京国立博物館のいう31体はどれなのでしょうか。
 まいっか。かたいことは抜きで、これからも日本の彫刻芸術楽しみたいと思います。
 興福寺南円堂(重要文化財)
八角堂に大型の唐破風の玄関です。
この中にも秘仏の運慶作品が納められているでしょう。
 興福寺南円堂小屋組
江戸時代に再建されたものです。
八角形の屋根形状に垂木が三段になっていて、とても複雑に組まれています。 
■ 第28回  2017.12.12UP
 高山寺子犬
湛慶作といわれる子犬です。
狛犬には見えません。本物は等身大?の木製の子犬です。
 高山寺子犬2
とにかくかわいいです。
子犬は、たくさんの子ども達にかわいがられたと思います。  
 龍燈鬼フィギュア正面
凛々しい。 
 龍燈鬼フィギュア右側面
右側面も凛々しい。
 龍燈鬼フィギュア左側面
360度全部凛々しい。
 龍燈鬼フィギュア背面
寡黙、しかし男の背中が語るぜ。
シブいぜチビマッチョ
  左臀部を見上げました。
 見上げたもんだよ屋根屋のふんどし
まさに千両役者。
 「なり たやッ!」
不動明王ではありませんが、
声、かけたくなります。
 美尻2
 美尻1
観てください左臀部。
ここからはお尻のオンパレードです。
 顔のアップ
上目つかいのオチャメな鬼と蛇の真剣さがユーモラスです。
 「運慶」展のパンフレット 
 龍燈鬼フィギュア正面アップ
  
Copyright© 2015 kozo-keikaku
■ 第21回  2017.04.12UP
■ 第11回-

  第28回『建築と仏像のさまよい紀行』 運慶展(後編)


 さまよったところ
 
 興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」(東京国立博物館平成館)
 六波羅蜜寺と祇園界隈

■ 第1回-
 美尻3
巻きつく蛇の背中が割れていますが、ここに金物の背ビレがはめ込んでありました。
■ 第24回  2017.08.25UP
■ 第25回  2017.09.15UP
■ 第26回  2017.10.10UP
■ 第27回  2017.11.27UP
 売店のセールスポイント
私以外にもお尻が気になる人いるんですね。
 龍燈鬼のキャラクターマンガ
売店の柱に貼ってありました。
よく特徴を捉えています。
 
■ 第23回  2017.07.12UP
■ 第22回  2017.05.25UP
COMMON ROOM

■ 第30回  2018.03.05UP
■ 第29回  2018.01.19UP