COMMON ROOM


灌頂堂組物
和様と大仏様の折衷様です。平安時代の建物に
かこまれて木鼻の繰り型が印象的です
しっぽの生えかわったトカゲが普通に
います
マムシの注意喚起の看板です
東日本大震災復興祈念
「奈良国宝室生寺の仏たち」のパンフ
 あれからずいぶん月日が経ったと思いますが、まだ6年なんですね。
 東日本大震災を経験して、運命は自分で決められるものではないと、痛感させられました。私たちの人生は地震と津波によって大きく変わってしまいました。しかし、その被害者の中には、無責任な人間が決めた運命に翻弄された方々も多くいます。
 福島第一原発事故はあきらかに人災です。防ぐことができた事故です。
 福島原発の想定津波高さを過去の歴史津波にならい、きちっと設定していれば、こんな不幸を招くことはありませんでした。設計段階で水没による電源喪失を疑えば、このようなことにはならなかったはずです。
 同様に大津波をうけた女川原発には被害はありません。二つの会社の違は、それぞれの近隣の人たちの人生を大きく変えてしまいました。
 もちろん近隣だけではありません。福島原発の影響は山を越え、遠く離れた人たちにも大きな影響を与えました。
 福島で起きたことを忘れてはいませんか。忘れようとはしていませんか。
 あらためて、震災で犠牲になられた方々のご冥福を祈るとともに、福島の復興を心より強くご祈念いたします。
 
 私自身も大いに反省しなければならないことがあります。私が設計した南三陸町(当時は志津川町)にある津波避難ビル松原住宅は、防波堤のように海に対して扇型に正対し、岸壁に沿って2棟建っていました。
 その地には、貞観や慶長時代に大津波が襲っていたことは、しっかり調査すればわかることでしたが、設計条件は、1960年に大きな被害を与えた高さ5mのチリ地震津波でした。
 避難ビルの屋上までの高さは、地盤面から14.55mに設定しました。波力も当然そのレベルでしかなく、15mを超える大津波の襲来の一報を聞いたときは茫然自失でした。(第19回さまよい紀行参照)
 関わった技術者としての責任と、過ちに対する自己弁護に大きく気持ちは揺れました。現場に行くことが恐ろしく、私の震災被害調査は志津川を避けていました。
 一ヵ月後その状況が漏れ聴こえてきました。当時50人近い人が、松原住宅を津波避難ビルと信じて避難したと聞いています。せまりくる波は建物を飲むまでに巨大化し、屋上に避難した人たちの膝までも水位が上昇したそうです。
 幸いにして建物は倒壊をまぬがれ、避難した全員が無事だったのですが、せまりくる大波の恐怖と、雪の降りつける強烈な寒さ、そして暗闇の静寂に生きた心地がしなかったはずです。
 
 申し訳ない気持ちで一杯です。
 
 大地震はそのたびに歴史を変えてきました。自分の力ではどうしようもない自然現象によって、昔も今もすべてを変えてしまうことがあります。そんな時、地震のメカニズムや気候変動への知識の無い時代は、偶像化された仏像や神像を崇拝し祈り助けを求めました。しかし、現代では科学の力で地震を理解し、建物の物性を解析し地震の応答を計算することができます。
 大きな過ちを犯した技術者は、最新の英知を取り入れ、自然の脅威に対する恐れを常にいだきながら、今後も教訓を糧に、安心で安全な建造物の設計のために邁進しなければならないと思います。
 今後も日々努力し、業務にいそしむ所存です。
 
 
 さて、今回は前回告知していた東京国立博物館で開催されている運慶展の予定でしたが、仕事が忙しいため拝観する機会がなかったので、2014年夏、仙台市立博物館で行われた東日本大震災復興祈念「奈良国宝室生寺の仏たち」について書きます。そして、あわせて女人高野室生寺を訪れた時のことを書きたいと思います。
東日本大震災復興祈念
「奈良国宝室生寺の仏たち」のパンフ
国宝五重塔
野外の五重塔としては一番小さい塔です。私は土門拳の撮影した室生寺に魅せられて訪れました。
国宝金堂
すがる破風の屋根と、敷地の傾斜を利用した張り出す
舞台は、女人高野にふさわしい女性的な美しさを見せてくれます。
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 表門をくぐり仁王門へ、そして鎧坂を「よっこらしょっ」とあがってゆくと金堂があります。先ほどの少女のような平安美人はこのなかにいます。
 金堂の左には釈迦如来のある弥勒堂があって、さらに山を登ってゆくと灌頂堂、そして五重塔が見えてきます。石段下から見上げる五重塔は、絵画のような美しさです。さらにさらに山を登ってゆくと、奥の院があって最後に大師堂があります。たくさんの建物が、険しい山肌にへばりつくように景観に溶け込むように建っています。
 堂宇は何度か再建修復を繰り返しているようですが、おもな建物の建設時期は、金堂と五重塔が平安時代、弥勒堂と灌頂堂が鎌倉時代のようです。
 
 
 飛鳥奈良時代の伽藍は、フラットな地形に整然と堂宇が並ぶ計画でした。しかし、前回の金剛寺や観心寺などもそうですが、密教系の寺院は修行の場としての山岳地帯に拠点を求め、あえて建設の困難な険しい地に建設したために、それまでとは違った建築技術が生まれました。さらに落雷に対する対策も必要だったと思います。
 室生寺の縁起は、奈良時代までさかのぼり、もともと浄行僧といわれる山岳修行者が、雨乞いや延命の祈祷を行う場だったようです。龍神が棲むといわれ、近くには今も龍穴神社がありますので、太古からミステリーゾーンだったのでしょう。太鼓橋を渡るとき、いつも決まって歌舞伎「鳴神」の鳴神上人を思い出してひとりで笑ってしまいます。
 
 平安時代には、呪術的な儀式によって干ばつからのがれ、国家を安定させるための重要なポジションを担っていたようです。その後そのような密教的な色の濃い地域は、空海との関係を強調され現在の室生寺が完成し、さらに徳川綱吉の母である桂昌院の後押しにより「女人高野」としての地位を確立したようです。
 
 それまでの建築物は、自然と人工工作物との対比によって威厳や権威を見せつけていたのかも知れませんが、密教寺院の山上伽藍は、むしろ自然に溶け込み一体化する建築に変化してゆきます。
 崖地に建てるための建築技術は、清水寺で有名な懸け造りがありますが、高低差のある基礎は、構造的に鉛直力の処理のみならず、地盤崩壊や地震時の捩れ振動など多くの問題を考慮しなければならなくなりました。
 現代社会では土地不足によって山肌の宅地造成をし、その結果として、豪雨災害や地すべり事故が発生していますが、この時代は、あえて山岳にそれを求め建設していったようです。
 金堂や奥の院の建築にその特徴を見ることができます。
 
 金堂は屋根の美しい建物です。その屋根の基本は寄棟ですが、礼堂を前面に1間(いっけん)分せり出したため、隅角部に変則的な納まりができ、それがすがる破風という美しい形状になります。
 組物はシンプルな舟肘木で、平安時代らしい優雅で上品な建物に仕上がっています。
 1階の床は、地面から浮き上がった懸け造り構造で支えられ、より水平線が強調されています。
 すがる破風の曲線、シンプルな組物、墨で引いたような床の水平線は、女性的な美しいボディラインのようで、女人高野にふさわしい建物だと思います。
 
 五重塔はいわずと知れた室生寺で一番有名な建物です。小ぶりで、低減率の小さい平安時代初期の塔です。山中にあるこじんまりしたかわいい五重塔は、まだ大人になっていない少女のようです。
 土門拳の写真は、本物以上に美しさを引き出しています。観るものを魅了し、見る人によって表情を変える不思議な美しい塔だと思います。
 最近、台風によって大木が倒れ塔を直撃し、屋根を破損したニュースは記憶に新ところです。おそらく過去にも、このような多くの事故があったと思いますが、幾度もの試練を乗り越え、そのたびごとに修復を繰り返して、さらに美しい姿を私たちに魅せてくれます。
この姿は実際に見て感じてもらいたい塔です。
 とにかく美しいです。
 
  東日本大震災復興祈念として開催されていた、「奈良国宝室生寺の仏たち」も何度も足を運び平安時代初期の室生寺仏を拝観しました。
 前回も書きましたが、厳かな雰囲気の寺院に安置される仏像と、殺風景な展覧会の仏像では観る人の覚悟もおのずと違います。
 しかし展覧会場でなければ観られない姿も沢山あります。たとえば、薬師寺の聖観音菩薩像、中宮寺の弥勒菩薩像、興福寺の阿修羅像は、普段は背中を壁にして納められていますので、360度から拝観できる展示会場はまたとないチャンスになります。
 仙台で行われた室生寺仏像展では、光背も取り外され、すべての仏像が全周全身を近くで観ることができました。
 博物館の展示室には、室生寺金堂内の仏像が回遊しながら観ることのできるように、薬師如来、伝文殊菩薩、地蔵菩薩、十一面観音、そして、十二神将像が配置されていました。
 また別室には、釈迦如来坐像がライトに照らされてぽっかりと浮かび上がるように配置されています。
 いずれも間近に背面まで観ることができて大変興奮でした。
 
 国宝十一面観音菩薩立像は、平安絵巻から現れたようなふくよかで雅なお姿をしていますが、おちょぼぐちで、ちょっと突き出した唇はまだ幼い少女のようです。普段は金堂の北側壁を背にして安置されているので、拝観できるのは正面です。しかし、展示拝観では、光背の取れた後からも観ることができるので、正面の姿とは違った姿を確認しました。その体躯は意外にも薄く、リズミカルで浅く繊細なラインの衣紋の彫りに、かよわい女性を感じました。
 頭上には10個の小さな観音が個性的な顔を見せてくれます。特に真後ろには私の心の中を映した様な暴悪大笑面。どんな理由で背面にあるのかわかりませんが。普段は見ることのできないこの表情は、私にはとても恐ろしい顔に感じました。
 ヤンチャな十二神像もすぐそばで見ることができました。彩色が剥がれ木目が現れていますが、目や鼻や口の位置を計算したように木目が現れていたのにはびっくりしました。
 そのような仏像の多くは、室生寺金堂の白壁を背に、華やかな光背を背負い整列しています。
 
 釈迦如来坐像は弥勒堂にあります。室生寺では薄暗い部屋なので衣紋や表情をはっきり見ることはできませんが、博物館の中では、ライトによってとても美しく照らされ、流れるような衣紋や、表情をしっかり見ることができます。特に、横顔の高くシャープな鼻の美しさには感動しました。
 土門拳は日本一の美男子だと書いていますが、確かに博物館の釈迦如来を観てまったくその通りだと思いました。
 
 奈良室生寺は、奈良市から電車とバスで2時間程度の、三重県に近い山中にあります。
 女性の入山が可能だったことから、女人高野と呼ばれる真言宗の寺です。
 境内には土門拳の写真で有名な、野外の塔で一番小さい国宝五重塔や、先ほども書いた超美系の国宝釈迦如来があります。そのほかにも国宝重要文化財の宝庫で、朝から晩まで一日中この地で過ごすことができます。
 私は、今から30年以上前に土門拳の写真にあこがれてこの地を訪れましたが、人影まばらな境内を、奥の院までのんびりと歩いた記憶が今でもリアルによみがえります。
 木々に囲まれた小ぶりな五重塔の美しさは、土門拳のそのままで、何度訪れても私を優しく受け入れてくれます。季節ごとの花が参道脇を飾っているので四季折々別の姿を見せてくれるので、いつ訪れても感動します。
 遠く離れた地に、はじめて来たときのセンチな思い出、これからの人生への不安や期待に揺れ動いていた青春時代の思い出など、訪れた時々に、咲き乱れる草花や紅葉、そして雨や雪とともに想い出が呼び起こされ、懐かしませてくれる場所になっています。
 
 直近で行ったのは2013年でした。仕事上の側近で、優秀で真面目な仕事人間の彼を、名古屋での仕事を終えてから、「たまには息抜きしよう」と言って、無理やり誘って三重県側から入りました。
 その時の彼は、現代建築の設計を一生懸命に処理し、会社のことだけを考えて、毎日ピリピリしながら張り詰めて生きていたような人でしたが、のんびりした時間の中で、彼は、なにを思いながら室生寺を見たのでしょうか。今は違う会社で頑張っています。ぜひ、彼のこれからの人生が幸せでありますように心から祈ります。
 
 いつだったかこんな珍客も私を出迎えてくれました。賽銭箱の傍にトカゲがいます。また五重塔の程近いところに「マムシ注意」のたて看板もできていました。さすが室生寺です(笑)。
 
訪れるたびに、違った時代の昔の自分に会える、そんな素敵なお寺です。
 はたして次に行ったときの室生寺は、どのように私を受け入れてくれるのでしょうか、とても楽しみです。

 次回は運慶展を書きたいと思います。

  第26回『建築と仏像のさまよい紀行-奈良室生寺』


 さまよったところ
 2014年東日本大震災復興祈念室生寺展(仙台市立博物館)
 
 室生寺(奈良県) 
 金堂      (国宝)
 弥勒堂     (重要文化財)
 灌頂堂(本堂) (国宝)
 五重塔     (国宝)
 釈迦如来坐像  (国宝)
 薬師如来立像  (重要文化財)
 十二神像    (重要文化財)
 十一面観音菩薩 (国宝)
 地蔵菩薩立像  (重要文化財)
バスはのんびり自然を眺めながら山肌を縫うように
走ります
五重塔
石段から見上げる五重塔にあこがれ訪れました。
この両サイドには季節毎の花が咲き乱れ、訪れる
たびに違った表情を見せてくれます
どこから見ても美しいに尽きます    
橋の傾斜を歩くと、やっと来たなと感じさせます
 民家の途切れた山道を、鳥の声や川のせせらぎを聴きながら走ってきましたが、バスを降りると門前には茶店が並び、山奥とは思えないにぎやかな雰囲気になります。
 室生川に架かる太鼓橋を渡ると、正面に表門が見えてきます。その先には山肌の形状にそって、境内が木々の間から奥の院まで続くのが見えます。
 山岳寺院ですので、堂宇は高低差を持ち、それぞれに階段が配置され景観を構成します。
奥の院から見下ろす、いま来た道   
どこから見ても美しいに尽きます   
奥の院
懸け造り     
灌頂堂
入母屋屋根で桧皮葺、唐戸や木鼻など組物も
にぎやかな禅宗建築の様式です
金堂
このなかに十一面観音菩薩と十二神像が
安置されています
弥勒堂
入母屋屋根で杮葺です。
中は薄暗く、土門拳の美男子の細部を確認することはできません
古い石畳、朽ちた石段は歴史の重みを感じます
仁王門
表門                 
とてもスレンダーな橋で、その構造美は現代力学の
結晶です
  室生寺へは、近鉄室生口大野で降りてバスに乗り継ぎます。本数は1時間に1本程度で少なかったと記憶しています。
 バスが通る道は、室生寺から流れる川のほとりを縫うように、ゆっくりとのんびりと上ってゆきます。途中、スレンダーで美しいコンクリートの橋が架かっています。
灌頂堂組物
幾度と改修を重ねるうちに、技術開発された最新工法を取り入れてゆきます
耐震性能は、鎌倉時代に飛躍的に向上します
奥の院への道
険しい山道です   
奥の院の大師堂