さてここからは、元興寺と建築様式について書きます。
元興寺の前身は飛鳥寺で、奈良遷都による平城京の造営にともない、飛鳥寺が元興寺として移転したものです。
飛鳥寺といえば、蘇我馬子が建てた日本最初の寺院建築で、その伽藍は、ひとつの塔を中心として三つの金堂がそれを取り囲む、なんとも大陸的な左右対称形でした。当時の日本には、寺院の建築経験がありませんでしたから、おそらくそのほとんどの工程が、外人部隊により設計施工されたものだと思います。その後飛鳥寺は、奈良遷都にともない壮大な伽藍をもつ寺院として奈良に移転することになります。
その後、元興寺は寺院の力の衰えや火災のため、諸建物は失われてしまいました。現在では、伽藍跡に建った多くの住宅の狭間に、極楽坊や観音堂、そして小塔院が点々と残っているにすぎません。
しかし、極楽坊には、奈良時代当初の僧坊を利用した本堂と禅室がしっかり残っています。平面形状は用途に合わせて改修されていますし、改修に伴い構造手法も変えていますが、当時をほうふつさせるすばらしい建物として私たちを楽しませてくれます。今回は、その建物の工法に注目して拝観しました。
日本の寺院建築は、他国からの影響や国内での技術開発によってさまざまな工法が採用されて建設されてきました。
飛鳥奈良時代には、仏教伝来とともに、それまで日本に無かった、巨大建造物を可能にする優れた建築技術が唐(現在の中国)から輸入されました。
そして平安時代に入ると、輸入された仏教建築工法に日本古来の工法が融合し、和様として定着します。しかし、この時代の工法は、奈良時代の野太い柱と梁の架構や堅剛な壁が減少し、日本の風土に合わせた開放的で、優雅な建物が建築されたため構造的性能が低下したように思えます。
その後、鎌倉時代には、宋(現在の中国)よりもたらされた大仏様や禅宗様などが席巻します。
大仏様は、まさにこの頃、東大寺勧進の中心人物であった僧重源によってもたらされました(第3回さまよい紀行参照)。その建築作品は、骨組みの美しさを強調し、構造的合理性にもとづいたすばらしい建築だと思います。
たとえば、東大寺南大門や浄土寺浄土堂などは、見ているだけで心が騒ぎほれぼれとします。柱はがっちりと太いものを使用しましたが、貫を多用し、比較的細い横架材によって柱を結合しています。また長いスパンの太い梁は、その中央部を曲線で高くし力強く鉛直力を支持します。大胆に骨組みをあらわし、見るものに安心感を与え安定した建物になりました。平安時代に優雅に変化した寺院建築は、またもや武骨な荒々しいものに回帰した感が否めません。はたして当時の人たちはどのように重源作品を見たのでしょうか。
あきらかに耐震性能を含む構造性能は向上しました。しかし、あまりにも斬新で武骨であったため、僧重源の没後、大仏様は急速に衰退してゆきます。
さて、時を同じにして大仏様を進化させた禅宗建築も宋からもたらされていました。しかし、大仏様よりは洗練されたとはいえ、禅宗様も単独で用いられるのは減少してゆきます。おそらく、当時の日本人からは、力学的合理性を優先したこれらの工法は、受け入れてもらえなかったのかもしれません。大仏様や禅宗様が好きな私には残念でなりません。
そしてしだいに大仏様と禅宗様は、和様と融合し新和様や折衷様という呼び名で呼ばれ、その後の日本建築の中心的な工法として存在することになります。
新和様や折衷様の区別は専門家でないのでわかりませんが、その分類は外観形状の分類されているようです。しかし、ここでは貫の有無を判断の基準にして、貫が採用されて和様との融合がはかられている場合を折衷様と呼びたいと思います。
鎌倉時代初期に、宋から輸入された大仏様や禅宗様によって貫が多用され、それと同時に和様との融合がはかられます。このことにより構造性能が飛躍的に向上します。
さて、元興寺極楽坊の本堂や禅室はどのような建物なのでしょうか。元興寺は、最古の寺である飛鳥寺を前身にもつ由緒ある寺院ですが、奈良に移転し大規模な伽藍に改修されました。そのときの僧坊の一部が、現在の本堂や禅室に転用されたようです。建物には奈良時代の古材の使用が認められるそうですが、工法は当初とは違うものが採用され、組物はあきらかに大仏様が採用されています。
本堂は、奈良時代の僧坊を利用し建てられたということですが、当時とは平面形状が違います。桁行梁間とも6間の寄棟でできています。正面には1間ぶんだけ先端に柱を持つ庇がありますが、ここでも柱間は6間の偶数です。一般的には奇数間として正面中央には柱を置きませんが、この本堂は真ん中に柱が配置されています。そのことは別用途の建物を転用改修した面影なのかもしれません。
外周壁は、ほぼ同じように四方に開口がありますが、正面以外の三方は桟唐戸を持つ禅宗建築の様子です。太い円柱に対して、足元と開口上部に通し貫が配置されて、四隅の最外端には、交差した貫のそれぞれ半分づつが飛び出しているのが見えます。また、柱の頂部には頭貫が配置され、その最外端は木鼻となって円柱から飛び出しています。室内に入ると、内陣の四周に太い丸柱が配され、その間に比較的細い古材を使用したような角柱が2本配置されています。そのたたずまいは、いかにも異空間を演出するがごとく、境界部分を示す角柱となって厳かな雰囲気が感じられました。
貫の線や障子の線、そして外陣の天井は細かい格子状の縦横の線によって、ピリッとした気持ちにさせられます。
次に禅室を外から眺めてみます。桁行は、中に角材の間柱を2本持ち中央に出入り口のある太い丸柱による4間になっています。また、梁間方向は4間の切妻造りになっています。この建物はおそらく奈良時代の僧坊の平面を踏襲しているのだと感じます。この建物を観ていると、法隆寺の境内にいるような気持ちにさせます。組物は三斗で成の高い頭貫をほどこし、軒の出し方は、同じ位置に同じ成の差し肘木でとてもシンプルに片持ちを形成しています。出入り口の窓枠はこれまた成の高いしっかりした貫で丸柱の中を貫通し大仏様の技術が採用されていることがわかります。
そして秋には、運慶展があります。今から楽しみです。
ついでに仏像情報です。これから書く元興寺極楽坊と真言律宗で宗派を共にする西大寺展が、東京三井記念美術館で行われています。元興寺のすごくかわいい聖徳太子二歳像「南無仏太子像」や短期間ですが浄瑠璃寺の吉祥天像などすばらしい仏像が多数拝観できます。
快慶展は、平成29年4月8日から6月4日までのあいだ、奈良国立博物館で行われております。東大寺僧形八幡神坐像(国宝)や金剛峰寺孔雀明王坐像(重要文化財)など国内外から珠玉の作品が一堂に会しました。
快慶の真骨頂とも言うべき、奈良東大寺西方寺、京都極楽寺遣迎院、兵庫県浄土寺、広島耕三寺のそれぞれの阿弥陀如来像は、神聖ななかに美しさをそなえたすばらしい仏像でした。
50を越える仏像群に圧倒された半日でしたが、整いすぎていて、だんだん同じものの様に見えてくるのは、私自身が仏像を正視できていない証拠なのでしょう。まったく持って贅沢な話です。もう少し作品を絞り込んで観てくれば良かったと、反省しております。それでも僧形八幡神坐像の、写実的でありながら神神しい姿は、記憶から離れません。執金剛神立像や深沙大将立像などの力強い姿は惚れ惚れします。
快慶の作品には、冒険を好まず伝統を重んじ、その上で不要なものを削り取り磨き上げた仏像の姿をみます。奇をてらうことなく、ときとして退屈でおとなしいと感じることもありますが、身体の奥から湧き上がる感動にすごみを感じました。
一回だけではなかなか自分の中に入ってこないので、何度でも観に行きたい展覧会でした。
第22回『建築と仏像のさまよい紀行』
奈良国立博物館快慶展
元興寺極楽坊極楽堂と禅室(国宝)所在地 奈良県奈良市
次回は、折衷様の代表的建物である、大阪河内長野の観心寺について書きたいと思います。
さまよい紀行の書き込みが遅れてしまいました。実は弊社、宮城県警ビルの東側に遷都(せんと)しまして、引越しの後始末に終われ、さまよい紀行に集中できなかった次第です。なんてことない稚拙な文章なのですが、読んでいただいていた方々から問い合わせをいただきまして、ようやっと書きあげたしだいです。
新しい私のデスクは、ドコモの超高層ビルを正面に配置されています。夕闇がせまると摩天楼のネオンが私をYAZAWAの世界に導きます。そんなときは、マティーニ片手に永ちゃんを気取ってシブく飲みたい気分になります。そんな遷都先で、これからもさまよい紀行を書き続けますので引き続きよろしくお願いたします。
さて、今年は、仏像好きには忘れられない年になると思います。まずは春、奈良で快慶展が行われています。海外に所蔵される作品も含め、多数の快慶作品が集結しました。さらに秋には、東京で運慶展があります。おそらく、場所と時期をたがえてはいますが、一年のあいだに、これほどまでに多くの運慶と快慶の作品が集まる展覧会は、めったにないと思います。同時期に存在した仏師界の2大巨匠です。巨人軍のONになぞらえて、運慶が長嶋茂雄なら快慶は王貞治、落語界では同様に、志ん生が運慶で文楽が快慶なんて勝手にイメージ作りあげていました。はたして2人のイメージは今年変わるのでしょうか。一年間楽しみましょう。
さて、今回のさまよい紀行は、折衷様の建築を拝観するために訪れた元興寺と観心寺本堂(国宝)のうち元興寺について書きたいと思います。もちろん快慶展も行ってきましたので感想を書かせてください。
そしてなんといっても、両棟共通していますが、屋根瓦の美しさです。ここには行基葺という古式の瓦葺きが残っています(一部は飛鳥時代に焼かれた瓦が今も使用されています)。
本瓦葺とは同径の瓦が連続して葺かれていますが、行基葺とは、水下から水上へ径がすぼまっている瓦を重ねて葺く形式です。したがって、行基葺の葺きあがった姿は、魚のうろこのように見えてとても美しい姿を見せてくれます。連続した甍(いらか)の幾何学模様は、重量感のある屋根を軽快に魅せ、さらにくすんだ木肌を古式の瓦のねずみ色が建物を引き締めています。まさに天平の甍だと思います。
本堂と禅室境界付近の一部の屋根が行基葺で、他は本瓦葺きになっているので、南側から屋根を眺めると、その対比がとてもよくわかります。
元興寺は狭い敷地になってしまいましたがとってもいい雰囲気の境内です。ぜひ訪れてきてはいかがでしょうか。
弊社に瓦好きのBIMの使い手がいるのですが、彼のために今回は、多くの行基葺きの写真を撮影してきましたのでご覧ください。
瓦好きの彼が、伝統木造建築をBIM化して形式や工法を後世に残してくれればいいなあと思います。