COMMON ROOM


不動明王立像
不動明王坐像
左釈迦右宝生如来
左阿しゅく右阿弥陀如来
五智如来
五智如来のうち大日如来坐像
 子授け地蔵菩薩
 噂の霊験あらたかな子授け地蔵菩薩は、ご覧の通り信者の手作り服に身を包み大切にされているのがよくわかります。露出部は目と鼻だけで全体像は不明ですが、おそらく下半身は永久に封印され、絶対秘仏なのでしょう。そのほうが神秘的で信仰としては正しいお姿なのだと思います。古い時代の一族の子孫繁栄は、宿命であって願は切実だったのだと思います。
 夜ばいする地蔵様をお祭りするおおらかさは、日本人の根本にある精神性のような気がします。
 
 長念寺本堂と併設された長岡観音堂の正面には、堂々とした鳥居があります。多様な文化を合理的に受け入れる精神性は、とても大切な大人の発想だと思います。相容れないものに対して、排除や破壊によってのみ解決しようとしている姿は悲しくなります。優柔不断といわれようと、山や川のような自然に対する崇拝、お天道様が見ているといった宇宙に対する畏怖の感情、仏像のような偶像に対する信心、神仏習合は、とてもすてきな思想だと思います。
 山形の各地域には、観音講という古くから受け継がれたグループがあります。地域で不幸があれば、その講が集まり念仏を唱え御詠歌をうたいます。私が小さいときは、公民館で大きな数珠を回しながら念仏を唱えている姿を何度も見ました。しかし、そのグループも規模が小さくなり高齢化しているそうです。ご近所付き合いも希薄になり、おそらく観音講も無くなってしまうのだと思います。
 形は失われても、そのような精神性を心の中に残し引き継ぎたいと思います。
大黒天半跏像
聖徳太子二歳と十六歳像
 追伸
 仏女、仏像ガール・・。いつしかそのような名前で、仏像好きな女性を呼ぶようになりました。
 私が若い時分、古建築をさまよい歩き仏像を拝観していた頃は、若い女性の姿は皆無だったと思います。当時仏像に関連する女性といえば、瀬戸内寂聴さんや、白洲正子さんで、お2人には大変失礼かとは存じますが「仏女、仏像ガール」などという表現は到底想像できないことでした。しかし、最近はむしろ若い女性が目に付きます。東京国立博物館でも、刀の展示室と仏像の展示室には、熱心に拝観し写真撮影されている若い女性が多いと思います。そんな仏像ガールの先駆的女性に廣瀬郁実さんがいらっしゃいます。今回さまよった長念寺でも廣瀬さんの講演が企画されていますのでぜひご参加ください。
 
 廣瀬郁実さんの講演会の日時と場所
 2017年5月27日17時より 
 林松寺(電話0237-47-0412)山形県東根市羽入2998 
 
 2017年5月28日10時より 
 長念寺長岡観音(電話0237-86-0016)山形県寒河江市2-4-19 
 いずれも無料ということです。
 本尊の不動明王像
 坐像の本尊は像高1mの立派なお不動様です。頭頂部の髪を皿のように束ねたシャケを結び、弁髪は後ろに垂れていて左肩にはありません。垂れているはずの左の弁髪が、もみ上げ状になって途中で途切れたように見えますが、当初からなのでしょうか。左目ははっきりした天地眼ではなく若干の伏目ですがむしろ目を見開いているようです。右の下歯で上唇を、左は逆対称に噛み合せています。これらは典型的な十九観不動明王ですが、各所に中央とは違う地域性を感じます。
 立像は両膝をハッキリ出して右足を大きく出して歩き出しそうです。4頭身の頭がちでゴツゴツした感じはとても独特で愛すべきキャラという感じです。
 以前も書きましたが、仏像の話題になると、京都や奈良などの関西の有名仏像が中心になります。しかし、東北には地域に愛され根ざした、個性的で独自のスタイルを持つ魅力的な仏像がたくさんあります。
 今回のさまよい紀行は、そんな東北っぽい仏像について書いてみたいと思います。
 ご紹介するのは、山形県寒河江市にある真言宗の長岡観音長念寺です。
 この寺は、昨年の春に参拝させていただいたとき、TV「見仏記」の取材で、みうらじゅんさんといとうせいこうさんがいらっしゃるとお話されていました。
 みうらじゅんさんといえば、「マイブーム」や「ゆるキャラ」の名付け親として有名です。個性的でわかりやすい仏像解説でとても刺激をいただいています。そしてなによりも蔵王(権現)ポーズや、仏像拝観時の天候を「括約筋」でコントロールする教えは、私も常々実践させていただいています。
 いとうせいこうさんも多方面で活躍されていますが、書籍として執筆されている「見仏記」は、番組映像で表現されない二人の心理描写を織り交ぜながら、一般的な仏像解説本にはない、個性的な説明で仏像の姿を表現されています。特に仏像の描写部分は、記憶を刺激するような独特の切り口で表現されていているため、以前訪れたことのあるお寺の文章を読んでいると、その当時の様子が昨日のように浮かび上がってきます。撮影の許されない仏像の様子を伝える難しさを書きましたが、いとうさんは見事に表現されていて、実物を知っている私にとっては、さらに理解を深める助けになっています。
 
 余談ですが、2人の掛け合いには印象的な言葉がたくさんあります。如意輪観音の法輪をもじって「フォーリンラブ」、「五智好き」、たくさんお役行者(えんのぎょうじゃ)像を前に「役(えんの)、役、役、・・・エンノレス」、「蔵王権現ポーズ」「乳鋲」・・・。彼らの山形で会話はどのようなものだったのでしょうか。
 TV番組「新TV見仏記」は仏像オタクにはかかせない番組ですが、長念寺にはわざわざ取材に来るほどの、貴重な仏像が所有されているということだと思います。
 
 3月のある日、私は枯山水の砂紋作りを体験したくて(長念寺では砂紋作りが体験できます)、雪解けを待っておうかがいいたしました。しかし残念ながら、山形の春はまだ遠く、残念ながらこの日はできませんでした。
 ところが、その日、御住職がご不在にもかかわらず、御住職のお母様から身に余るおもてなしをいただきました。
 日本のおもてなしはすばらしいといいますが、山形のおもてなし精神は、おそらく世界一だと思います(私のふるさとは山形なので大目に見てくださいね)。通りすがりの私たちに、あったかくて優しい、信じられないくらいの応対していただきました。
 客間に通していただき、手作りのお漬物をいただきながら、興味深いお話をたくさんうかがい、そうそう、柑橘の文旦をいただいたのですが、手が汚れないように、食べやすいように綺麗に切ってあって、すすめられるままに、皿に載っていた果物を全部いただいてしまいました。さりげないのですが、果物の食べやすさを意識した調理には感動しました。
 そして、夕方になるまでの時間をずいぶん長居をしてしまいました。
 そんなわけで、とても寒い日でしたが、なんだか心の奥底から、じんわりと暖かくなるような、そんな体験をさせていただいたのです。
 
 さて、多くの文化財を所蔵する長念寺や慈恩寺がある寒河江市とは、どのような歴史を持つのでしょうか。山形県は私のふるさとなので、ちょっとだけ詳しくふれてみたいと思います。
 
 私が子どもの頃の甲子園への出場枠は、一県一校ではありませんでした。西奥羽大会という山形県と秋田県の決勝で勝たなければ、野球の全国大会に出ることができませんでした。
 奈良時代の寒河江のあった場所は、山形県と秋田県でできた出羽の国という律令国だったのです。
 時代が過ぎ平安時代の末期、そのような出羽の国の南部に、寒河江荘という荘園ができて大江氏が管理をすることになります。そして鎌倉時代には、鎌倉幕府の御家人であった大江親広が治めることになります。
 大江親広は承久の乱で敗北後、荘園管理をしていた親を頼って移り住み、寒河江城の初代城主になったといわれています。
 寒河江城は、鎌倉幕府の許可を受けておおいに栄え、城の周辺には大きな寺院ができました。特に鬼門位置には、当時末寺約40を持つ総持寺という中本山の寺院が大江家の祈願所として建てられたようです。
 祈願所の総持寺には、レベルの高い仏像や仏具がたくさん所蔵されていたようですが、神仏分離令や廃仏毀釈、そして寺院経済の破綻などから筆頭末寺だった長念寺に引き継がれたとお話いただきました。
 その結果として、長念寺にはたくさんの貴重な仏像が集まったようです。
 以前、さまよい紀行で「塩田平」のことを書いたことがあります。長野県上田は塩田平として鎌倉幕府の管理下にあったため、国宝を含めたくさんの鎌倉建築が残されていました。寒河江も同様に、中央の力が地方に影響し、地元の文化と交流し独特の建築や仏像が生まれていったのだと思います。
 そして、室町期には国内有数の歴史を持つ出羽百観音のひとつとして、最上三十三観音の霊場になったということです。
 その後、戦国時代に入ると、南方より伊達、最上の侵攻を受け滅亡しました(この時代の山形村山の歴史について、吉祥院の御住職にお伺いしましたが、とても複雑で一度には理解できませんでしたので、また後日お伺いしようと思います)。
 
 さて、長念寺の貴重な仏像の様子を書きたいと思います。
 長岡観音の本尊十一面観音像は秘仏で拝観できませんでしたが、長念寺本尊の不動明王像や、五智如来坐像が間近で拝観できます(触れていけないのは当然ですが、お賽銭が寄木の裂け目にねじ込んでありました)。
 さらに金剛界胎蔵界曼荼羅が同居したとても珍しい両界大日如来坐像が、とても素敵な厨子のなかに安置されています。半跏した地蔵菩薩像や大黒天もとても珍しいポーズで見守ってくれています。
 さらにさらに特筆すべきことを御住職のお母様からうかがいました。堂内に、手作り感満載の帽子やエプロンに身をつつむ子授け良縁地蔵尊が安置されていますが、その地蔵菩薩は以前寺外の別の場所に安置してあったそうです。そのお地蔵さんが夜な夜なお出ましし、方々の村の女性に子孫を残していくので、村人は困りはて、長念寺の堂内に安置してもらったというのが由来だそうです。
 その結果、子授け良縁地蔵菩薩として信仰されているそうです。説得力のある、なんともおおらかな東北文化の一端を見せられました。
 このネタ、みうらさんやいとうさんにはお話をなさっていないそうです。とても残念です(笑)。
 長念寺には、そのほかに弘法大師坐像、興教大師坐像、大黒天半跏像、聖徳太子二歳像、聖徳太子十六歳像など他にも多数の仏像が所蔵されています。
 長念寺では砂紋作り体験ができます。仏像を拝観して枯山水の庭を作って心を落ち着かせ癒されてみてください。
 そろそろサクランボの季節です。蕎麦もラーメンも美味しいところですので、ぜひ初夏の山形を訪れてみてください。
 
 このたび、御住職から撮影とネットにアップすることを許していただきましたので写真を掲載させていただきます。
 
 五智如来坐像
 とても身体のバランスが良く、衣文の掘りが深く先端が鋭角で現代的な造形に見えました。眉は半円をきちっと描き、目が瞑想しているというよりは、むしろ凝視しているように感じます。顔の形は長方形にちかく硬い感じで、その表情は慈恩寺や立石寺の仏像にも感じるので、お互いに影響を受けながら作製された仏像のようなきがします。中央の影響を受けつつ、作者のオリジナリティが表現されて見ていて、それがとても身近に感じるのは、私が山形県人だからでしょうか。なつかしさを感じて心がやすまりました。
 
子授け良縁地蔵菩薩
長岡観音堂正面
長念寺正面

第21回『建築と仏像のさまよい紀行』

「山形の旅」


訪れた寺院
山形県寒河江市 長岡観音長念寺(最上三十三観音十六番札所)
歴史 創建時期 平安時代
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