COMMON ROOM


中善寺薬師堂東面
 鎌倉から遠く離れた長野県上田市別所温泉周辺は、鎌倉時代の古建築が多く残っています。これは、当時この地が、塩田平という鎌倉幕府の荘園があって、幕府重職の北条義政が治めていたためと考えられます。今月のさまよい紀行は、そんな長野の鎌倉建築を求めて、ぶらぶらと歩きたいと思います。

 まずは、鎌倉時代より少しだけ時代を遡った、平安時代末期の長野県最古の建築物中善寺薬師堂(国重要文化財)です。表紙の写真でわかるとおり、宝形のかわいい茅葺屋根のお堂です。その愛らしいファサードは宮城県の奥州藤原の遺構である角田市高蔵寺阿弥陀堂(添付写真参照)を思い起こさせます。鎌倉の支配以前より、この地に中善寺薬師堂のようなすばらしい建築が存在したということは、おそらく、農耕に適した豊かな土地だったのだと思います。
庭や山門から入った参道を含め、周辺の山と川と谷と自然景観のなかにたたずんでいる様子は、平安時代にタイムスリップさせるに充分な風景です。極楽浄土を求めて、日本中に浄土信仰にもとづく建築が作られたのだと思います。
中善寺薬師堂脚部
中善寺薬師堂内部
中善寺薬師堂仁王像
中善寺薬師堂仁王像
中善寺薬師堂
 茅葺屋根といえば、先日、岩手県奥州市にある、国の重要文化財正法寺(日本最大の茅葺屋根)の耐震補強の見学に行きました。改修から時間が経過し、茅葺屋根に自生した植物が大屋根にしがみついている姿をご覧ください(木や植物のような有機体の建築素材は管理がとても大変だと思い知らされます)。そして、同じ岩手の平泉中尊寺では「一字金輪佛頂尊御開帳」がありました。地震災害の多さにその慈悲のために御開帳されたと聞きました。平安時代に東日本大震災のような貞観地震がありましたが、今後大きな災害が起きないことを願います。


 次回は岩手県の毘沙門天を求めて、さまよい紀行を書きたいと思います。

 堂宇を管理されていたご夫婦から、あずま屋で、お茶と野沢菜の漬物をいただいてのんびりさせてもらいました。ご夫婦は、気さくな方でとても素敵な人たちでした。私の記憶が正しければ、この地が好きで、定年退職後管理をされていたとうかがいました。
 ご夫婦と話していると、会話の合間に、どこか遠くでウグイスがさえずり、その声は、山肌を覆う霧の中にスーッと吸い込まれ消えてゆきます。
 その合間に、お互いの身の上話をしながら、野沢菜のしゃきしゃきした噛む音と、湯飲み茶碗のテーブルに置く音までが「コン」と山肌まで流れてゆきそうです。静かな、ゆっくりした時間を満喫し、帰り際には、自分のなかでとても去りがたい想いがあふれました。この境内の中にいるととても癒されます。ぜひ訪れてみてください。

 堂内の仏像は薬師如来坐像で鎌倉時代初期の作品です。平安時代の雰囲気を持つ、丸みを帯びた、ゆったりとした構えの仏像です。仏像は撮影しておりませんが、建物の内部の組み物を撮影し添付したのでご覧ください。
 また、田舎の農機具置場のような、なんとも頼りない細い柱でできた仁王門の左右には、それとは裏腹な、いい感じの仁王像が安置されていました。
 像は、身体が重くがっちりした立ち姿、遠慮がちな足の開き、無理やり感のある腕のひねり、掌のパーの感じ・・・、あとで塗ったような表面の着色は安っぽくて残念ですが、私の感性にとてもよくマッチングしていて、ひと目で好きになりました。
 間近で見られた幸せ、なんだか、福島県の法用寺金剛力士に似た像で、とても親近感がわきます。
 写真を撮ってきたのでご覧ください。
岩手県正法寺北面補強
中尊寺一字金輪佛頂尊御開帳

 次は、大法寺です。所在地は上田の西隣青木村にあります。
 この寺の三重塔は、層ごとの屋根のバランスが絶妙で、逓減率が大きく最下層の屋根の出が長いため、安定感と躍動感が感じられます。
 一層目は二手先、二から三層は三手先で変則的な組物になっています。1階の平面を大きくしたため、一層目が二手先になったと思われますが、どのような意図で設計したのか興味深いです。
 文化財の塔のなかには1階が三間で上層になると二間に変化した塔があったり、東と西の双子の塔なのに構造が違ったりする建物があります。今となっては設計者に聞けないのでわかりませんが、どのような思いでこのような変化を与えたのでしょう。とても興味深いことです。
 そして、1層目の組物のなかに、とてもシブい姿の良い「蛙股」を見つけましたのでご覧ください。

中善寺薬師堂東面角
中善寺薬師堂東南面
信濃国分寺三重塔正面
信濃国分寺三重塔一層隅
前山寺参道
前山寺三重塔正面
常楽寺本堂
常楽寺石造多宝塔
大法寺三重塔隅部
大法寺三重塔脚部
大法寺三重塔
大法寺三重塔蛙股
大法寺観音堂
大法寺三重塔
安楽寺三重塔柱脚
安楽寺三重塔垂木
安楽寺三重塔
安楽寺三重塔2
中善寺薬師堂屋根隅
高蔵寺阿弥陀堂(宮城県角田市)
中善寺風景
中善寺庭
中善寺薬師堂 案内板
信濃国分寺三重塔構造図

 このあと、鎌倉時代弘長二年(1262年)の刻銘がある石の多宝塔を持つ常楽寺、未完成の三重塔を所有する前山寺、最後に信濃国分寺三重塔を拝観しました。

 信濃国分寺は平安時代の末期に現在地に移されたとされています。三重塔は室町時代中期の建立で昭和7年から8年にかけて全面解体修理が行われました。写真でわかるとおり反りが強い禅宗様の形態をとるほか、組物には和様も採用されているので、全体的には折衷様と見られます。また、案内板にあった図面には、内陣に台輪と詰組みが見られ、あきらかに禅宗様の仕様が見られました。
 写真を添付いたしますのでごらんください。
 話がそれましたが、長野中善寺、宮城高蔵寺、岩手中尊寺は、同時代に違う場所で作られた平安時代末期の阿弥陀堂建築ですが、いずれも独創的でその土地の郷土色を色濃く残す素敵な建物です。しかし、個性的ではありますが、いずれの建物にも共通した意匠や構造がしっかりとみてとれます。これらの建物は、情報伝達が今ほど進んでいなかった時代の建築様式です。先人の知恵や伝承能力の高さには驚かされます。
 このようないしずえのもと、日本建築が成立しているのだと思います。同じ建築にたずさわるものとして、そのことに誇りを持ち、建築技術者としてしっかり仕事をしなければならないとあらためて感じます。日本の伝統建築を大切にしてゆきたいと思います。


 次は、国宝安楽寺八角三重塔です。
 この建物、「なにが?」と問われても、言葉で表現できないのですが、なんとも不思議な建物です。私の知る限り、現存している八角三重塔は安楽寺だけだと思います。
 山道を登るように三重塔にむかって歩くと、上から少しずつ九輪、三層目、二層目、と見えてきます。ようやく三重塔の場所に到着すると、最下層の裳階(もこし)が現れました。一見すると4階建てのように見えますが、じつは最下層の屋根は裳階という庇なので3階建てということになります。
 裳階は建築のイメージを大きく変えます。とくに安楽寺は八角形の平面なので、その裳階は、女性が身につけるスカートのように広がり、とても優雅な姿になりました。とにかく、有名な建物ですし写真でも見ていたので、「あっ!これこれ!」って興奮します。
 しかし、それにしてもなんでこのような個性的な形状で設計したのでしょうか。地方の独自の禅宗建築といってしまえばそうですが、このオリジナリィティの源はどこにあるのでしょうか。放射状の垂木、詰組み、弓形欄間、礎盤、粽、台輪、唐桟戸など、禅宗建築の特徴がオンパレードですが、よくぞここまで、八角形の平面形状に融合させたものだと感心すると同時に、あらためて地方技術者のレベルの高さを思い知らされます。


第16回『建築と仏像のさまよい紀行』 

長野の古建築をたずねて第三弾 上田市周辺における平安時代から室町時代の建築

拝観した建物 中善寺薬師堂(平安時代末期 国重要文化財)
安楽寺八角三重塔(鎌倉時代末期 国宝)
前山寺三重塔(室町時代末期 国重要文化財)
大法寺三重塔(鎌倉時代末期 国重要文化財)所在地 青木村
信濃国分寺三重塔(室町時代中期 国重要文化財)

所在地 大法寺以外は長野県上田市

前山寺三重塔一層組み物
前山寺本堂
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信濃国分寺三重塔解体修理写真
信濃国分寺三重塔脚部