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『建築と仏像のさまよい紀行』

会社の創業25周年を機に、私が今まで散策し出会った、建築と仏像の思い出を、勝手気ままに書きます。

お時間の許す方は、どうぞお立ちよりください



第1回 不動院金堂(国宝)
所在地  広島県広島市
建物概要 桁行三間・梁間四間・一重裳階付の入母屋杮葺きの禅宗様式
建立時期 1540年(天文9年)と推定される

不動院を拝観する前に、山本理顕氏設計の広島西消防署を見学したのですが、現代の材料を使った骨組みの美しさと、不動院のそれとの対比が、自分の中でとても刺激的に感じられました。

最後に、平和公園で黙祷してきました。

広島は、70年前にそのような悲劇があったとは考えられないくらい、大都市に成長し賑わっていました。おそらく、その過程で、多くの人々の想像を絶する苦労があったと思います。武器を持たない無防備な一般市民が標的にされ、幸せな生活が一瞬にして消されてしまうような愚かな行為は、決して許してはいけないと思いました。

 8月1日はミスターチルドレンの大規模なライブがあったために、不動院に行くために使用したアストラムラインの中は、ライブに向かう若者で通勤ラッシュ並みの混みようでした。これからの未来を担う若者の幸せを願ってやみません

火灯窓と弓欄間
強い屋根の反り
扇垂木と組み物
 門をくぐると、国宝金堂があります。

とにかく巨大です。それでいて反りが強い屋根勾配のためでしょうか、軽快に感じます。

背景には森の濃い緑が、足元には真っ白い砂が、そして、素朴な木肌の材木で構成された建物は、やさしく翼を広げた鳥のように見えてきます。

私の期待通り、柱と貫の縦横のラインやそのあいだの組み物がとにかく美しく、放射状の扇垂木のラインは無限に広がる空間を表現しているようで、伸び伸びとした気持ちにさせます。

柱と貫、三手先の組み物、詰組、木鼻の突出、屋根と裳階の扇垂木のシステムが、しっかりした力学的合理性によって存在している姿は、見る人に安心感を与え、構造材がデザインとなり美しい姿になっているのではないでしょうか。

まさに「The Structure!ヨロシクッ!」って感じです。

また、弓欄間や火灯窓の意匠材の曲線もとてもよいアクセントになっていて、とてもバランスのよい美しい建物だと思います。

ぜひ、建築を目指す若者は自分の目で見てください。おそらく構造が好きになると思います。

そして私のような、晩年を迎えた構造設計者は、不動院の建設工事に従事した当時の宮大工の気質や、工事監督した担当技師の責任感の強さに思いを馳せてみたらいかがでしょうか。

残念ながら、建物内部には入れないため、小屋組みや、重要文化財薬師如来坐像は拝観できませんでした。

ここで忘れてはならないことがあります。不動院は被爆していることです。

70年前、広島市内から北へ行く街道沿いにあったため、多くの被爆した方々が逃げ場を求め移動し境内で亡くなったと聞きました。

広島西消防署

 あとがき

 私の小学校のときの夢は、宮大工になることでした。父の職業の関係で、中学校を卒業後すぐに、建具職人に弟子入りするものと決めていましたが、建具職人も宮大工の夢もあきらめて現在の職業に就きました。現在は非木造主体の建築の仕事が多いのですが、それでも木造建築が好きなので、仕事の合間に古建築をぶらぶらと散策しております。

大学時代の4年間は45日の夏休みを、30日のバイトと15日間の京都奈良の旅と決めて、散策した寺社建築の数も相当数あります。お金がなく、ただただ無駄に時間だけがたくさんあった時代なので、終日奈良薬師寺に滞在したり、東大寺二月堂で大仏殿のし尾に沈む太陽を午後の間中待ったり、中宮寺の弥勒菩薩を拝観中に居眠りして閉門時に起こされたり、今思えばとても贅沢な旅ができたと思います。

そのようなことを、これから1ヶ月に1回程度のペースでアップして行きたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。

不動院金堂
Copyright© 2015 kozo-keikaku

『さまよい紀行』の最初にこの作品を取り上げた理由は、構造設計を仕事としている私にとって、構造の美しさを前面にアピールした建物を取り上げたいと思っていたので、不動院金堂を載せました。

寺に残された記述を読むと、金堂は室町時代に隆盛を誇っていた大内氏によって周防国山口に建立された本堂だったと伝えられています。それを、臨済宗で薬師如来を本尊とする安国寺として現在の場所に移築されたようです。しかし、その後は真言宗に改め本尊を不動明王としたため、寺の名前も不動院と呼ばれ現在にいたっているようです。

現在の場所は、川の多い広島市の扇状地の基端に位置し、前面に太田川、背後に牛田山といった環境の中に建っています。

不動院は、広島新交通システムアストラムラインの不動院前駅が最寄り駅です。駅のすぐ目の前が境内になっていますので、高架の駅から境内を見下ろすことができます。

私が訪れた日は、原爆投下70年目の年の8月1日で、境内は、競い合うように蝉がやかましく鳴き、汗が滴り落ちるような日でした。

まず目を引くのは、東西方向を軸として配置された楼門と金堂の大きさです。広島は原爆投下により、主要な建物がほとんど焼き尽くされてしまっているため、古い木造建築物はほとんど残っていません。したがって、中心部から多少距離があるとはいえ、市内にこれだけの伽藍を保有している古寺は非常に珍しいと思います。

駅から降りると、すぐに楼門があります。門の脇には数台の子供用の三輪車が無造作に乗り捨てられており、おそらく、境内自体が近所の人たちの憩いの場になっているのだろうと思います。