第6回『建築と仏像のさまよい紀行』 

高蔵寺阿弥陀堂(宮城県最古の木造建築 重要文化財)

所在地  宮城県角田市

建物概要 桁行三間・梁間三間・茅葺宝形屋根

建立時期 1177年(治承元年)創建 平安時代

左右の杉の木と阿弥陀堂
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平安時代後期の本尊丈六阿弥陀如来坐像


内部隅角部の納まり


内部の梁

 今までは、構造美が強調された大仏様・禅宗建築を中心に書いてきましたが、第6回目は平安時代の、とても素朴でぬくもりを感じさせてくれるすてきな建物を紹介いたします。

 このたびは、御住職の承諾をいただきまして、建物内部と阿弥陀様の写真を掲載させていただきましたのでご覧ください(いずれも真横から撮影した写真のみです)。

 東北には国宝建築物が5物件あります。岩手県の中尊寺金色堂、山形県の羽黒山五重塔、宮城県の瑞巌寺本堂と庫裏、大崎八幡本殿、そして福島県の白水阿弥陀堂です。当然ですがどの建物もとてもすてきな建物です。
 しかし、それらに優るとも劣らない建物が、宮城県角田市の山奥にあります。
 それは平安時代の末期に創建された高蔵寺阿弥陀堂です。

 写真で見ていただくとわかるように、素朴で骨太で重量感のある建物は、平安時代の優雅さとは違いますが、端正なプロポーションは気品に満ちたものです。この場所にたつと、1000年前の東北の人々の想いが伝わってきます。

 高蔵寺の縁起は、819年(弘仁10年)に徳一が開創したとされます。徳一といえば、奈良時代に最澄と仏教論争をしたといわれる有名なお坊さんです。東北ではたくさんの寺院や仏像にかかわっているので、ご存知の方が多いと思いますが、仏像マニアには特に有名な勝常寺の開祖でもあります。

 その後、全伽藍の修理が行われ、現在の遺構である阿弥陀堂は、1177年(治承元年)に藤原秀衡の妻によって建立されたと伝えられています。そして翌2年には、本尊の阿弥陀如来坐像が寄木の丈六像として作られたということです。

 東北には、中尊寺金色堂、願成寺白水阿弥陀堂、そして高蔵寺阿弥陀堂が平安時代の遺構として存在しますが、いずれも、奥州平泉文化の影響を色濃く残したものだと思います。このような遺構の存在は、奥州藤原氏の能力の高さや、仏教が一般民衆のなかに非常に深くかかわっていたことがうかがえます。

 都から遠く離れた東北の地に、このようなすばらしい浄土建築が存在することを、ぜひ知っていただきたいと思います。

 建物の建つ地形は、平安時代とほとんど変わっていないはずです。南西北に背の低い山があり、正面東側には、遠くまでひろがる平野があります。うっそうとした森の中に静かに建つ阿弥陀堂は、ときおり鳥のさえずりが聴こえ、なんだかそこだけがぽっかりと柔らかい光につつまれ、それはまるで母親にいだかれるような安心感とやすらぎを得られます。

 創建当時、争いに明け暮れた、激動の都から離れたこの場所は、文化的にも経済的にもとても安定し、東北地方の人々の精神性が高く、人間性が成熟していた時代だったのではないでしょうか。


 建物は、方三間で茅葺屋根です。瓦屋根ではこんなに温かい感じにはならなかったでしょう。東北だからこそ実現できたものだと思います。
 そして構造は、ぶ厚い茅屋根を船肘木と太い白木の円柱で支えるとてもシンプルな組み物でできています。内部も外観同様、ひとつひとつの部材が太く、しっかりと組み合わされています。

 堂内には、堂々とした、丈六の阿弥陀仏が中央に鎮座し、奥には損傷が激しいのですが、寄木の様子が良くわかる同様の規模の仏像があります。果たして丈六の阿弥陀仏が、山奥のこの近隣に2体も存在したということは、どのような意味を持つのでしょうか。
 阿弥陀様は、穏やかな表情というよりは、きりっとした目や唇で、むしろ力強さが感じられます。それは、右奥の如来像にも感じられるもので、約1000年前からこの地で、地方の民衆を見守っていた阿弥陀像の正面に立つと、身の引締まる厳粛な気持ちになります。そして、当時の華々しい平安文化のなかにあって、東北の地で、ささやかだけど、とても幸せに過ごしていた民衆の祈りが伝わってくるような気がします。

 素朴でとてもすてきな御堂と阿弥陀仏のお姿をご覧いただきながら、平安末期の東北の地に思いを馳せてみてください。
 奈良の都は、1181年の平家の南都焼き討ちにより東大寺を失います。その後1185年に大仏開眼法要が行われました。そして、第2回さまよい紀行で書いた南大門は、大仏様を採用し重源が1199年に再興します。これは、高蔵寺阿弥陀堂創建の約8年後です。当時、相当量の東北の金が使用されたはずです。
 平家から源氏へ。時代は急速に変化していった混沌とした時代だったと思います。そんななか、ここ高蔵寺に集う民衆は、どのような願いを阿弥陀様に祈ったのでしょうか。
 それは、鎌倉幕府の東北への覇権政策が、すぐそこに迫っている時代です。

 最後に、すぐ近くには、移築された旧佐藤家住宅(江戸期の重要文化財)があります。内部に入ると、切り出した木材をそのまま使ったような、とても素朴な柱と梁の組物が良くわかりますので、あわせてご覧ください。

平安時代後期の如来坐像
内部の舟肘木
COMMON ROOM

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斜めから阿弥陀堂