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第3回『建築と仏像のさまよい紀行』 

浄土寺浄土堂(国宝)と僧重源上人

所在地  兵庫県小野市

建物概要 方三間・平屋建て瓦葺きの大仏様

建立時期 1192年(建久3年)創建

■ 第3回  2015.10.13UP
■ 第4回  2015.11.09UP

みなさんは、リーダーの資質をどのように考えておられるでしょうか。
私はリーダーの条件として、先を読む力のある人・優秀な人材のネットワークを持つ人・決断力のある人をあげます。僧重源は、そのような条件を備えた、理想的なリーダーではないでしょうか。
60歳を過ぎてから、あの東大寺を再興した男です。いったいどのようなリーダーだったのでしょうか。第2回で書いたように、すべてを見透かすような重源上人坐像の厳しい眼差し。老いてもなお若々しいマッチョな筋肉。そして数珠をもつ気迫に満ちた指先。彼の持つ、すさまじいまでの東大寺再建への信念は、絶対的な迫力となって1,000年過ぎても伝わってきます。

ここで読者から、「だいぶつさま」って何ですかと聞かれたので、大仏様の概要を説明します。
大仏様とは、平重衡の南都焼き討ち(1180年)によって、失われた東大寺の建物の復興のために、大陸(当時の宋)からの技術として、始めて鎌倉時代の前半に輸入された建築様式です。ですから、「だいぶつさま」ではなく「だいぶつよう」と読みます。
その頃の日本の建築様式は、どのようなものだったのでしょうか。
時代区分を建築的に分類するならば、古墳・飛鳥・奈良・平安時代を古代と位置づけるのでしょうか。そして、その時代の建物を和様と呼ぶのかもしれません。
また、大仏様や禅宗様の技術の輸入によって大きく変貌した、鎌倉時代から室町時代を中世と呼ぶのがしっくりくるような気がします。
つまり、古代から中世へ建築界を大きく変貌させたのが重源だったと思います。

ここで、彼が大仏様を採用するまでの日本建築を、私の好きな建物を例にあげて説明してみます。
まずは、建築材料を精神性のよりどころに置き、切り出したばかりの丸太を、主要構造材として、大胆に用いた伊勢神宮や出雲大社に代表される神殿建築があります。建築の役割は、古墳から出土した埴輪などからも、機能性だけではなく宗教や政治などを行ううえで、非常に重要なアイテムになっていたことがうかがわれます。
その後、仏教の渡来により、飛鳥・奈良における寺院建築は日本古来の建築様式を一変するような出来事になったと思います。現存する建築物では、法隆寺や唐招提寺・薬師寺東塔などは、それまでの屋根に反りのない切妻のシンプルな建物から、反りのある深い軒の屋根が堂々と建造されて行きます。おそらく当時の人々にはそれらの建造物が驚きを持って迎えられたと思います。
そして、密教的仏教から平安時代に入ると極楽浄土的な仏教に変わり、それに伴い繊細な建築が建ち始め、みやびな寝殿建築へと流れていきます。
前置きが相当長くなってしまいましたが、そのような意味では、僧重源は、まさに、その当時の日本人好み?(私の想像)で、建築の流行であった、みやびな建築様式を打ち砕いたような気がします。
彼は、当時としては、改革者で開拓者であり、おそらく強い信念が無ければ到底なしえなかった事業だったと思います。強いリーダーシップで、日本建築の流れを一時的であったとしても作り上げた人だと思います。

浄土寺浄土堂は、みやびの建築とは真逆で、繊細さというよりは、むしろ、あばら骨をむき出しにした武骨で構造重視の建築になっています。
建物内部に入ると、天井は無く、力学的合理性に基づく梁と柱の配置がそのまま見ることができます。
スパンは均等間隔で、屋根にはほとんど反りが無く、隅軒は一直線でマッチ箱をスパッと切り裂いたような大胆さです。平安時代の繊細さやみやびな世界からは少しはなれて、とにかく復興を急ごうとしているようにさえ感じます。
しかし、その一方で、内部の斗(ます)のリズミカルな配置は、東大寺南大門のそれとは明らかに違い、規則性よりは自由な配置のように思えて、見た目を意識していたような型破りな配置にも感じます。
そして堂内には5mを超える快慶作の阿弥陀三尊があります。三尊は大陸的な雰囲気をかもし出し、朱に染められ配置された骨組みに囲まれて、仏像は放射光の光背を背負い、黄金に輝いた立ち姿で人々を見守ってくれます。
私は、夕方西日の堂内を経験していませんが、浄土堂の内部は、豪快な骨組みとは裏腹に、西側窓と床天井を巧みに利用し、太陽光の入射角により、西日を背に来迎する姿を演出しているといわれています。
構造様式は極めて大陸的でありますが、その光を計算し魅せるところは、いかにも、みやびな日本人的美的感覚を存分に発揮していると思います。
次回はぜひ晴れた夕刻に訪れたいものです。

浄土寺浄土堂のある兵庫県小野市は、交通の便があまりよくないので、車での移動になりますが、比較的近くに一乗寺(兵庫県加西市)があります。
その境内には、奈良京都以外では珍しい平安時代の三重塔があります。この塔は、非常に美しい塔で、屋根の隅棟は、上側に凸になっているのがわかります(最上層のみ?)。ふっくらとした屋根を見ると和テイストのやさしさを感じることができると思います。塔は山の中腹に建っているので、少しずつ登りながら塔の見る角度による違いを楽しんでください。さらに、柱間に仕込まれたカエル股がとても美しいので拝観してみてください。

以下に写真を添付いたしますが、浄土堂の内部は、大きな阿弥陀三尊が安置されています。したがって、建物内部を写真撮影することがはばかられたため撮影していません。内部骨組みは書籍等でぜひご覧ください。

最後に、僧重源によってもたらされた大仏様は、重源の没後ほとんど採用されなくなりました。和様や禅宗様に吸収される形で残りましたが、なぜ大仏様は急速に減少し衰退したのでしょうか。
実際の建物と仏像を、ご自分の目でご覧になりながら僧重源を感じてください。

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左上 一乗寺三重塔を見下ろす
右上 一乗寺三重塔を見上げる
カエル股が見えます
右上 法華堂の奈良時代と鎌倉時代(大仏様)の境界
左上 法華堂(礼堂側)
浄土寺浄土堂南東面  西日は建物背後から入射し阿弥陀三尊像を照らすことになります